広島市議会議員(安芸区)

両親の71回目の結婚記念日

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 あっという間に年末年始の休暇が終わりました。みなさん、ゆっくりお休みになれたでしょうか?

 きょうはわたくしの両親の71回目の結婚記念日です。結婚当時、父は20歳、母は18歳でした。両親は従兄妹同士で、お互いの両親が勝手に決めたそうです。気の遠くなるような歳月を二人で過ごしてこられたことに、長男として敬意を表します。

 元旦に訪問したときに、長く続いた秘訣を聞きました。二人とも異口同音に「自分が我慢した」と述べていました。

 二人とも持病はあるものの、何とか自宅で生活しています。90歳の父は被せはあっても30本すべて自分の歯です。フグの皮をつまみに1合以上飲んでおりました。改めて歯の大切さを実感しました。

 何年も前から、「これが一緒に過ごす最後の正月かのう?」と言い続けていますが、両親が健在であることに感謝した正月でした。

幼き頃の写真が出てきました。

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 三が日も今日で終わり。なんともなく過ぎ去りました。これが最近の正月でしょう。子供のころには、凧揚げをしたり、独楽を回したり、一杯やることがありました。家の前に鉄工所があったので、鉄の輪がついた重い独楽の軸を短くしたり、先を削ったり様々な細工をして友人たちと競い合ったものです。

 

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 その頃の写真が出てきました。右前で帯を長めに締めているのがわたくしです。左の細めの子は、グランドプリンスホテルの上にある元宇品灯台灯台守の子、田原君です。今では無人灯台ですが、当時は灯台守が海を守っていました。田原くんは保育園のころ父親の転勤で会えなくなりました。田原君、どうしているのでしょう。

 

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 右前がわたくし、左が田原くん。右奥の山の下に今ではグランドプリンスホテル広島が建っています。

 

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 4人の子どもの背中が見える写真は遠足に出かける前のものでしょう。アルミのコップに記憶がありますから、左から2番目がわたくしだと思います。左の石段に座っている幼子がなんとも可愛いですね。

恭賀新年

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 令和2年の新年あけましておめでとうございます。年賀状をお届けします。  

 

 高速5号線関連議案に反対しました。

①8月に所属会派(市政改革ネットワーク)の会長に就任しました。

②平成30年度決算特別委員会で高速5号線の増額を含む一般会計決算認定に反対しました(議会意思としては認定)。

③12月定例会で高速5号線の増額を含む議案に反対討論しましたが、可決となりました。(市議会ホームページから12月13日の本議会録画中継でご覧ください)。安芸区で反対したのは私だけでした。我々が提案した道路公社側の招致を議会は見送り、自ら市政調査権を放棄しました(残念です)。

被災橋梁の復旧予定は以下の通りです。  

 一貫田橋:令和2年5月。

 塚地橋:令和3年3月。

 仲橋:令和2年8月。 

 弘法橋:令和2年8月。

 河島橋と中原橋は入札不調のため未定ですが、再度入札します。

 

  今年もよろしくお願い申し上げます。

       令和2年元旦

          広島市議会議員 沖宗 正明

 おきむね正明後援会新年互例会は1月19日正午よりJR海田市駅南側のサンピア・アキで行います。会費2000円です。お誘い合わせてご参加ください。

陽関の藁

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 いよいよ年の瀬が迫ってまいりました。新年が近づいたというべきでしょうか。わたくしは年末の雑踏が好きで、若い頃には都心をあてもなく散策したものでした。いい年でこれをやると徘徊と間違われるかも。

 

 最近NHKでシルクロードの生放送がありました。懐かしい光景が盛りだくさんでした。敦煌では莫高窟を見学した後、一人でバザールに飲みに出かけました。そこではテーブルごとに担当の女性が決まっていました。自分の店のような感覚だったのでしょう。とはいえ、まったくコミュニケーションが取れません。日本語はもちろん、英語も全く通じません。身振り・手振りだけです。訳の分からないツマミで生ぬるいビールを飲みましたが、いい思い出です。中が見えないほど濁った水槽から魚を掬い上げるのを見ましたが、さすがにこれは食べる気が起きませんでした。

 

 敦煌から西へ陽関を訪ねた時のことです。1000年以上前に建築され、今では崩れかけた土塀から藁が何本も覗いていました。その1本を抜いた時、遥かに遠い時代の光景が見えたような錯覚に陥りました。遠くの城郭から狼煙が上がっているかのように見えました。狼煙によって、陽関から北京までの数千キロをわずか数日で知らせが届いたそうです。日常的に異民族からの侵入に悩まされていた最前線からの情報は貴重だったことでしょう。

 

 8世紀の唐代の詩人・王維の七言絶句「送元二使安西(元二の安西に使いするを送る)」を思い出しました。

 渭城朝雨浥輕塵(渭城の朝雨 軽塵を浥す)

 客舍青青柳色新(客舎青青 柳色新たなり)

 勸君更盡一杯酒(君に勧む 更に尽くせ一杯の酒)  

 西出陽關無故人(西の方陽関を出づれば 故人無からん)

 

 1000年以上も前の時代、地の果ての西方に旅をすることは命がけだったことでしょう。二度と会えないかもしれない親友と酒を酌み交わす寂しさが伝わってくる詩です。