広島市議会議員(安芸区)

元首相補佐官の飯島勲が「コロナ対策が進まないのは医師会のせい」だと

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 新型コロナの新規感染者数がわずかに減りましたが、まだまだ安心できません。先日ニュース番組を見ていたら、元首相補佐官飯島勲菅総理を褒めちぎっていました。菅総理は2兆円だか3兆円だか大きな予算を組んで、よくやっていると強調していました。これだけの予算を組んでいるのに国民は菅政権を評価しないと恨み言を言っていました。政治は結果責任です。結果を出せなくては評価されません。政治と選挙に敢闘賞はありません。予算を組んだことでよくやっていると言えるなら、600億円以上をかけたアベノマスクは高く評価されることでしょう。アベノマスクを評価している国民がどれほどいるでしょうか。最新の調査では、政府のコロナ対策を75%が評価しないと答えています。多額の予算を組んでもこの有様です。

 

 返す刀で飯島勲は、今のコロナ対策がうまくいかないのは医師会のせいだと言い切りました。「町医者たちは補助金が出ないと動かない」とまで言いました。現状を知らずにこのような無知なことをしゃべることが、いかに現場の医師たちのやる気を削ぐのか分からないのでしょう。

 皆さんの周りにも、昔の肩書を振りかざして先輩面する輩がいませんか?

 昨日は日曜日でしたが、終日安芸区総合福祉センターでワクチン接種を担当しました。やっと予約が取れたという方が相当いました。まだまだワクチンが足りませんが、わたくしなりにできることをするだけです。

イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

  広島県にも3度目の緊急事態宣言が発令されるようです。盆休みに首都圏や関西から多くの人が帰省したことが大きく影響しています。政府は医療機関に強く協力を要請しました。とはいえ、多くの医療機関は人員や設備が不足し、協力したくてもできないのが現状です。

 

 先日、「イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか(新潮新書)」を読みました。これほど日本が尊敬されていることに驚きです。一例をご紹介します。

 アルジェリアの独立に大きな貢献をした宇都宮徳馬氏(1906~2000)です。アルジェリアはモロッコの東に隣接する国です。わたくしが学生時代に「カスバの女」という歌謡曲が流行りました。「ここは地の果てアルジェリア」という歌詞が印象的でした。アルジェリアは1830年から130年間に亘ってフランスの支配を受けました。アルジェリア独立運動を主導したのはFLN(民族解放戦線)で、100万人の犠牲を払って独立を果たしました。

 宇都宮徳馬氏は自民党衆議院議員を務めていたとき、FLNに共感し、FLN極東代表部の東京設置に尽力しました、1955年と1959年に独立戦争中のアルジェリアを訪れ、日本アルジェリア協会の前進である日本北アフリカ教会を設立しました。敗戦から間もない時期に戦勝国フランスに対して日本人の気骨を示し、アルジェリア人の心に日本を強く意識させました。

 宇都宮氏は2000年に亡くなりますが、葬儀は7月5日、アルジェリア独立38周年記念日に執り行われました。アマール・ベンジャマ駐日アルジェリア大使は「日本において宇都宮徳馬先生ほど日本とアルジェリアの関係を深く築くに当たって多大の貢献をなさいました方は他にございません」と弔意を示しています。

 わたくしは宇都宮氏の名前は知っていましたが、これほどまでに両国の絆構築に貢献したことを知らなかったことを恥ずかしく思いました。

 このような関係にありながら2013年に、アルジェリアで日本企業の日揮社員が武装集団の犠牲になったことは歴史的友好関係を踏みにじったものです。

 この本は、イスラムの多くの国から日本人が尊敬されていることが列挙されています。日本人としての誇りを改めて感じます。

 

アフリカ大陸を見た話

いい顔ふやそう。沖宗正明です。

広島市でも新型コロナの患者数が高止まりです。収束が見通せない辛さがあります。かつて瀬戸内寂聴は、「今がどん底だと思えば希望が持てる」と言いましたが、現状はとてもどん底だと思えません。医師として自分のできることをするだけです。

 

さて数年前になりますが、アフリカ大陸を見たことがあります。見たという表現は変ですが、はるか遠くにかすかに大陸が見えたということです。スペインのグラナダアルハンブラ宮殿を見学した翌日、シエラ・ネバダ山脈を越えて長距離バスでアンダルシア州のロンダに向かっているときです。ガイドから「珍しくアフリカ大陸が見えます」とアナウンスがありました。確かに地中海を越えて、遥か彼方にかすかに陸が見えました。モロッコでした。まさかのサプライズでした。

 

アフリカとの縁は若い頃、研修を終えた時ゆっくり将来を考えようと船医を務めようとした時期がありました。このときにオファーがあったのが神戸からアフリカへの貨物船でした。結局船医になることは果たせず、泌尿器科医になりました。そのとき以来のアフリカとの繋がりでした。

 

シエラ・ネバダ山脈はアメリカにもあります。ラス・ベガスの北西で、ヨセミテ国立公園があります。ちなみにシエラはスペイン語Sierra、山脈の意味です。ネバダNevada、雪が降るという意味です。つまりシエラ・ネバダは雪が降る山脈です。ことさらに山脈という単語を続ける必要はありません。Hondori Streetと言うようなものです。

すごい混雑=イオンモール

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 きょう、安芸郡府中町イオンモールで新型コロナワクチン接種の問診を担当しました。型通りの質問を繰り返すのは結構疲れますが、少しでもコロナ禍を鎮めることに役立てる意義を感じています。

 昼食のために3階のフードコートに行きました。ご存知の方はお分かりと思いますが、飲食のスペースは相当の広さです。しかし、座る席を見つけるが大変でした。かなり離れた場所に席を確保しましたが、その混雑ぶりには驚きです。20日から、まん延防止等重点措置が適用されますが、国民の自粛疲れを強く感じた体験でした。

 それにしても昼食が「たこ焼き」10個で終わったことを自分でも可笑しく思いました。次回はもっとパワーが出る昼食を摂ります。

呼び出し電話

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 町内会の加入率が年々下がっています。わたくしの町内会でも高齢化が進み、世話をする人 が少なくなって、町内会解散が議題に上りました。現状はなんとか解散せずに維持していますが、いつまで続くか危機感があります。

 

 わたくしが小学生の頃は自宅に電話がある家はごく僅かでした。学校の連絡網には呼び出し電話が書かれていることが多くありました。わたくしの場合は、2軒先の方がわざわざ呼び出しに来てくださいました。「沖宗さーん、電話ですよー」の声が記憶に残っています。呼び出す方も呼ばれる方も特別に違和感もなかったようです。コミュニティという言葉はありませんでしたが、地域のつながりが強い、いい時代でした。

 不思議ですが、60年も前の、その呼び出していただいていた方の電話番号を今でも覚えています。当時広島市の市内局番はまだ一桁の時代でした。市内局番は省きますが、〇―0097でした。今でも感謝しています。

 

 馬齢を重ねるに連れ、次第に記憶があやふやになりますが、いくつかの電話番号は記憶から消えません。若い頃の何人かのガールフレンドの家の電話番号を今でも覚えています。「年寄りは古いことをよく覚えている」という言葉がわが身に降りかかるとは・・・・・