広島市議会議員(安芸区)

きょうはチェルノブイリ原発事故が起こった日

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 1986年のきょう、チェルノブイリ原発事故が起こりました。広島に投下された原爆の何倍もの放射性物質が放出され、風によって西方のヨーロッパに運ばれました。   

 チェルノブイリ原発からから半径30キロが立ち入り禁止区域に指定され、約15万人が避難させられました。原発があったプリチャピ市は今も無人のままです。

 プーチンが戦術核の使用するのではないかと危惧されている中で、改めてこの事故の意味を問い直す必要があるでしょう。

 

 地上波放送では、人道的な意味でウクライナ国民を救うために降伏も選択肢の一つだなどとの無責任な発言が増えてきました。ロシアがウクライナ国民に人道的な扱いをするとでも思っているのでしょうか?第2次大戦の後のように、略奪、暴行、レイプなどが行われ、働ける者は強制労働に従事させられることでしょう。

新型コロナワクチン接種での三重苦

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 昨日は呉市での新型コロナワクチン接種の問診を担当しました。8時半から16時までの長丁場でした。途中で1時間の休憩時間に市内中心部を歩きました。私が呉共済病院に勤務していた40年前とは比べられないないほどの寂しさです。よく通っていた飲み屋はビル全体が空き家となっていました。

 

 問診を担当していて苦痛に感じることがあります。それは受診者とのコミュニケーションがうまく取れないことです。

  • 間に透明な遮蔽版があること。
  • お互いにマスクをしてること。
  • わたくし自身、7年前の突発性難聴に加えて、加齢による聴力低下があること。とくにサ行とタ行が聞き分けにくくなっていて、聞き間違えが良く起こります。

 この三重苦に苦しみながら問診を担当しています。3回目接種の希望者が少ないためか、政府は高齢者と基礎疾患を持つ人に対して4回目の接種を行う方針です。もうすぐ三重苦から解放されるでしょう。

医学生の解剖実習のための献体を望んで逝った母

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 きょう4月22日は母の一周忌です。享年90歳でした。母は80歳を過ぎても独学でパソコンを操作し、毎年リビングウィルを書き換えて私に託していました。

 延命治療を拒否する旨や自分の死後の手続きなどが細かく書かれてあり、随分助かりました。その中に両親ともに死後、医学生の解剖実習のために献体することも書かれてありました。私が国費で医師になれたことに感謝していたためです。

 昨年のこの頃はコロナ禍の最中であり、遠方に住んでいる私の弟や子供たちには帰広しないように指示し、ごくわずかな身内だけで葬儀を済ませました。

 その後、母の遺体は広島大学からの霊柩車で、火葬場に行くのではなく同大学医学部に直行しました。遺骨の返還は3~4年後になると説明を受けました。いまは防腐処理を施されて医学部に安置されています。

 

 人体解剖実習は、医学生にとって初めて強烈に自分が医師になることを実感させられる体験です。私の時代には医学部3年生の夏休み明けの9月中旬から年末まで、平日の午後は毎日解剖実習に当てられました。自分では気づきませんが、ホルマリンの匂いが白衣だけでなく体に染みつきました。その時期に学生食堂に後輩たちが入って来ると、その匂いで解剖実習が始まったことが分かるほどです。

 母の意思が医学生たち、そして医学の発展に役立つことを願っています。

ウクライナ国民の不屈の戦意の源

  いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 ウクライナの紛争が泥沼化しています。ロシアはウクライナ東部への攻撃を強めています。これに対してウクライナでは民兵と言えるような市民が立ち上がって抵抗しています。ウクライナ国民の不屈の戦意は称賛に値します。

 私はかつてこのような不屈の戦意を学んだ貴重な体験があります。2008年1月に広島市議会を代表してロシアのボルゴグラードを訪れました。対ドイツ戦勝65周年の記念行事に参加するためです。

 ボルゴグラードは以前はスターリングラードと呼ばれた第2次大戦の激戦地です。ボルガ川を渡ってきたドイツ軍の戦車部隊によって都市の90%以上が失われ壊滅しました。原爆によって壊滅した広島市と同様の境遇にあったことから、昭和43年5月18日に両市は姉妹都市提携を結びました。

 ボルゴグラードに行ったのは酷寒の季節でした。深夜、空港に降り立ったときのキラキラとダイアモンドダストが舞う光景が印象的でした。

 史上初めての宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンが学んだ小学校もボルゴグラードにあります。

 

 様々な行事に参加して印象に残ったのは、勲章を付けた80歳を超えたと思える高齢者が数多く見られたことです。その表情は誇らしさを感じさせました。彼らは10代の時に激戦に参加し、ドイツと戦ったのです。市民も彼らを「ベテラン」という敬称で尊敬していました。もちろんボルゴグラードはロシアですが、今回のウクライナでも同様の戦意を示しています。陸続きのヨーロッパでは古くから侵略が行われた過去があるため、自らが国を守るというDNAが刷り込まれているのでしょう。

 はたして日本が侵略されたとき、その覚悟があるのかと不安になります。

冬眠から覚めた熊が最初にすること

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。

 各地で熊の出没のニュースがマスコミを賑わしています。冬眠から覚めたのでしょう。冬眠から覚めた熊が最初にすることは何だと思いますか?

 それは脱糞です。長い冬眠に入る前、熊は食糧を十分に食い貯めしますが、冬眠の間、熊は排便しません。そのため冬眠から覚めた熊はまず排便しなければなりません。しかし、便はカチカチになっています。そこで熊は水芭蕉やハナウドの新芽を食べて便を柔らかくします。

 何を食べたら便秘に効果があるかを知っているのは驚きです。