広島市議会議員(安芸区)

裁判員制度の問題点(9)

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。朝は震えるような寒さです。これが日本の冬です。四季の移ろいを楽しみたいものです。
 前回(11月29日)のブログに誤りがありました。「生類憐みの令」は徳川家3代将軍家光の書きました。全くの勘違いです。正しくは5代将軍綱吉です。生類憐みの令、柳沢吉保桂昌院とくれば当然綱吉となります。訂正しておきました。恐縮です。
 さて、先週末に裁判員候補者に対して選ばれた旨の通知が行われました。動揺されている方も多いことでしょう。
以下、裁判員制度に対するわたくしの見解を述べます。これは今年6月23日の本会議で質疑したときの内容です。わたくしのこの制度に対する見解を述べました。長いものですが、参考になると思いますので、ご一読ください。


 第68号議案、平成20年度広島市一般会計補正予算のうち、「裁判員制度への対応」547万円について質問いたします。
平成21年度から実施される裁判員制度に伴い、毎年度の裁判員候補者予定者名簿の調製に必要な、住民基本台帳電算処理システムの改修を行うとされています。裁判員制度は国の制度です。本市はその事務を粛々とこなすしかありません。しかし、この制度が広島市民に多大のダメージを及ぼすことをわたくしは黙って見過ごすことができません。また、裁判員法の成立にあたって地方議員として異を唱えなかった不明を恥じ、懺悔の意味を込めて、あえてこの問題を取り上げました。
 わたくしが裁判員制度に興味を持ったのは、自分が被告人席に座ることになったとき、果たして公正に裁いてもらえるのかという疑問が湧いたからです。「お前ならありそうなことだ」という言葉が飛んできそうですが、この議場内の皆さんにとっても冤罪の疑いをかけられる可能性が絶対にないとは言い切れないでしょう。 
 わたくしは、裁判員制度に関する本を取り寄せて文字通り読み漁りました。あわせて日本国憲法も読み直しましたが、読み進むうちに、裁判員制度に対する恐怖と怒りがこみ上げてきました。それを少しく述べます。
 もちろんのこと、わたくしは法律の素人です。法的な解釈には誤った点があろうかとも思いますが、大意を汲み取っていただければ幸いです。
 裁判員制度は、日米構造協議の中でアメリカからの弁護士増加要求に対して政府が急いで動き出し、平成11年、小渕内閣で「司法制度改革審議会」が設置され、「国民の司法参加」が検討課題となったことに始まります。
 国民の司法参加には基本的に2種類の形があります。良く知られているのがアメリカに代表される陪審制度です。陪審制度は伝統的には12名の陪審員が裁判官から独立して裁判に関与し、法廷に提出された証拠に基づいて表決するものです。陪審員は訴訟事件ごとに無作為に選ばれ、有罪か無罪かだけを判定します。全員一致が原則で、全員の結論が一致するまで評議が行なわれます。有罪または無罪となった理由を述べることは要求されません。アメリカでは無罪になれば検察による控訴はできないため、被告人はその場で釈放されます。有罪の場合には量刑は裁判官にゆだねられることになります。
 もう一つの形は、ヨーロッパでよく行なわれている参審制度(審理に参加すると言う意味です)と呼ばれるものです。陪審制度と異なり、参審員は事実認定、法の適用、量刑の判断の全てに裁判官とともに関与します。有罪か無罪か判断した理由は述べなければなりません。多くの場合、任期が定められており、その間いくつかの事件を担当することになります。わが国で行われようとしている裁判員制度は事件ごとに選ばれる点では陪審制に似ていますが、裁判官とともに関与する点で、より参審制に近いものと言えます。裁判員制度では表決は多数決で、裁判員にも裁判官にも平等に1票が与えられます。ただし、有罪意見が多数を占めていても、有罪とするためには少なくとも裁判官1名が入っていなければなりません。たとえば裁判員6名全員が有罪の意見であっても、裁判官3名全員が無罪を主張すれば、無罪となります。
 司法制度改革審議会では、当初日本弁護士連合会、通称日弁連は国民の司法参加の方法として陪審制度が望ましいと主張し、これに対して最高裁法務省陪審制度は憲法違反の可能性があると反対していました。紛糾した審議会をまとめるために、また日弁連が主張する陪審制度を牽制する形で出てきたのがこの裁判員制度です。日弁連最高裁法務省との妥協の産物と言えるものです。そして平成16年5月21日、国会で自民党民主党公明党共産党社民党すべての政党が賛成して「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」いわゆる「裁判員法」が成立しました。これほど重要な法律であるにもかかわらず、国民にはほとんど知らされることなく、国会での審議は衆参合わせても3ヶ月に満たないものでした。付則には5年以内に施行するとなっておりますので、それが来年5月ということになります。
 裁判員が扱う事件は、死刑または無期の懲役か禁固刑に相当するような重大な刑事事件です。殺人、現住建造物等放火、傷害致死覚せい剤取締法違反、通貨偽造、危険運転致死傷などで、当然マスコミを騒がせるような事件ということになりますが、扱うのは地裁の第1審だけです。平成17年の裁判員制度対象事件は全国で3633件、これは地裁の通常の刑事事件の約3.2%に当たります。
 裁判員の選任資格は、衆議院議員の選挙権を有する者とされています。欠格事由、つまり裁判員になることができないものとして、義務教育を終了していない者、禁固以上の刑に処せられた者、心身障害のために裁判員の職務の遂行に著しい支障のある者などがあります。
 また、就職禁止事由、つまり裁判員になってはいけないものとしては、国会議員、検察官、弁護士、警察官、自衛官司法書士自治体の首長などが含まれます。
 理由なく裁判員を辞退できないことになっていますが、例外として70歳以上の者、学校の学生・生徒、重い病気や障害、介護や育児で出頭できない者、従事する事業に著しい損害が生じる恐れのある者、5年以内に裁判員または補充員となったものなどは裁判官の許可を得て、辞退できるとなっています。わたくしども地方自治体の議員は議会開会中だけは辞退することができます。
 裁判員の選任方法は、全国に50ある地方裁判所が毎年、翌年に必要な裁判員候補者の員数をその管轄区域内の市町村に割り当て、これを市町村の選挙管理委員会に通知します。通知を受けた選管は選挙人名簿の中からくじで裁判員候補者予定者名簿を作成し、地裁へ送付します。今回の補正予算はこれに関連した費用と考えられます。さきほど対象事件は年間約3600件と述べました。対象事件それぞれに候補者予定者は100名と言われていますので、全国で約36万人、有権者の実に280人に一人が裁判員候補者予定者として名簿に記載されることになります。
 地裁は送付を受けた名簿から規定に従い、裁判員候補者名簿を作成します。この候補者名簿に記載された者は翌年1年間裁判員に選ばれる可能性があるので、その旨が本人に通知され、同時に調査票が送付されることになります。調査票についてはあとで述べます。
 具体的な対象事件の第1回公判期日が決まったのち、裁判所は候補者名簿の中から、これもくじで1件ごとに50ないし100名を選び、裁判所に出頭する日時などを知らせる呼び出し状を発送します。出頭するのは初公判の日の朝です。
 裁判所では検察官、弁護人立会いの下で裁判官からひとりずつ面接され、欠格事由のある者や不適格な者、辞退する者が除外され、最後にもう一度くじで6名の裁判員と1名の裁判員補充員が選ばれます。そして、なんとその日の午後から裁判官とともに公判に参加します。
 いまのところ、裁判員裁判員補充員に選ばれるのは有権者約4000人に一人と言われていますが、この確立は年々高くなってゆきます。
 こうした背景を踏まえて、わたくしなりに問題点を指摘したいと思います。
 最初の問題点は実施しなければならない必然性がないということです。
 平成18年12月の読売新聞の調査によると、裁判員をやりたくない人は75%にも上っており、その2年前の前回調査より6ポイント増えています。逆にやりたい人は前回より6ポイント減って20.4%となっています。他の調査も同様であり、知れば知るほどやりたくない結果となっています。やりたくない理由で多いのは「有罪・無罪を的確に判断する自信がない」。「刑の重さを決める量刑を的確に判断する自信がない」。「人を裁きたくない」「人を裁く自信がない」などで、しごくまっとうな感覚だと思われます。裁判員制度推進論者には、「裁判官の判断は非常識だが、国民の判断は常識的で信用できる。」「国民を裁判に参加させれば判決に健全な社会常識が反映できる。」という根拠のない信念が根底にあります。健全な社会常識とはなんでしょうか。義務教育修了だけを資格要件にしてくじで無作為に選ばれた、その場1回限りの素人の判断が、専門的な資格を資格を持ち、何年も訓練と経験を重ねてきた裁判官より常識的である、信頼できると言えるのでしょうか。裁判官の任命コースは司法試験に合格し、司法修習を終了し、判事補任命後10年を経て、初めて裁判官となれます。そして、裁判官に任命されても5年未満のものは単独で判決を出すことができません。裁判官に対してさえこれほどの責務を課しています。なぜ素人である裁判員の資格要件は義務教育卒業程度だけなのでしょうか。これでは裁判官と対等な議論などできるはずもなく、模擬裁判で見られたように裁判官の思うところへリードされることになるでしょう。
 国民が嫌がっているにも関わらず、無理やり運用するために裁判員法には膨大な罰則規定が盛り込まれています。
 たとえば、裁判員が評議の秘密その他職務上知りえた秘密を漏らしたときは、6ヶ月以下の懲役か50万円以下の罰金。この守秘義務は一生続きます。
 裁判員候補者が調査票に虚偽のことを書いて裁判所に提出したり、裁判員選任手続中の質問に虚偽の陳述をすると50万円以下の罰金。
 以下の場合には10万円以下の過料です。
 すなわち、呼び出しを受けた裁判員候補者が裁判員等選任手続期日に正当な理由なく出頭しないとき。裁判員が正当な理由なく宣誓を拒んだとき。裁判員が正当な理由なく出頭すべき公判期日等に出頭しないとき。などです。
 過料は罰金と異なり、裁判所だけで判断される一種の制裁であり、刑罰ではないため前科にはなりません。しかし、落ち度もないのに勝手に呼び出され、出頭しなければ10万円とはあまりに国民を愚弄したはなしです。その他にも様々な罰則が設けられています。
 職場の宴会でも、自分が裁判員として担当した事件のことはうかつにしゃべられません。ライバルの密告によって罪人となる可能性があるからです。裁判員として経験したことを一生胸に秘めておかねばならず、相当のストレスになります。落ち着いて酒も飲めません。裁判員制度は密告社会となる可能性すら秘めています。
 それに引き換え、裁判官には守秘義務に関しての罰則がありません。裁判官は元々プロなので秘密を暴露することはないとの前提なのでしょう。
 昨年2月テレビ朝日の「報道ステーション」で元裁判官が秘密を漏らしました。昭和41年、静岡県清水市で起きた4人殺害事件、いわゆる袴田事件で第1審を担当した当時の静岡地裁の裁判官が番組の中で次のように語りました。「自分は無罪の心証を持っていたが、裁判官による表決で負けたため、心ならずも死刑判決を書いた」と。この告白は社会に衝撃を与えました。
 こんな法律を国民が望むわけがありません。国民が要望したわけでもないこの制度に必然性があるとは思えません。
 2点目の問題は裁判員制度日本国憲法に違反する可能性が高いということです。
憲法第18条には「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とあります。ある日突然に裁判所から呼び出され、本来の仕事もできず、長時間拘束され、退屈で理解できない証拠調べをやらされ、悲惨な殺人現場や吐気を催すような死体の写真を見せられ、見ず知らずの人と議論させられ、評議では自分の意見を述べなければならない。そして、経験したことはどんなに苦しくても一生誰にも話してはならない。話せば、懲役か罰金が待っているのです。わたくしの医学部時代の同級生の女性は解剖実習に耐えられないとして、文学部へ移りました。医師を目指した人間ですらこんな実態があります。気の弱い人なら死体の写真を見せられただけで精神的トラウマになるでしょう。これが苦役でなくて何と言えばいいのでしょうか。
 憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と書かれていますが、裁判員法では、「被告人を裁きたくない」、「裁く自信がない」と言う良心に従って裁判員になることを拒否することは許されていません。
 また、憲法第37条第1項には「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と謳われています。
 刑法には被告人を守るという面もあります。裁判は被告人が裁かれると同時に国家権力である警察、検察が裁かれる場でもあります。裁判員と言う裁判官でない者が加わった裁判所は公平な裁判所と言えるでしょうか。被告人の立場から考えると、自分の目の前に9人が壇上に座っている。そのうち3人は憲法上正規の裁判官であり、判決にあたっても署名し、その責任を明らかにしている。しかし残りの6人は裁判官でも何でもなく、ただくじで選ばれたおじさんやおばさんであり、判決に当たっても署名することなく、責任も持たない。その6人は一体いかなる理由を持って裁判官と同じ権限をもち、自分の運命を決めるのか、疑問に感じるのが当然でしょう。中には法廷に酒を飲んでくる者もあるでしょう。この議場にはいませんが、退屈のあまり居眠りする者も出るでしょう。もはや公正な裁判とは言えません。
 さらに、憲法第38条には「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」とあります。裁判員法はここでも憲法違反の疑いがあります。ここで先ほど述べました、裁判所からの調査票について言及します。このまま行けば来年5月から実施となるため、年内には候補者予定者となった者にその旨の通知と調査票が郵送されますが、地裁から送られてくる調査票の内容は今に至るも明らかにされていません。しかし、通り一遍の簡単なものではないことは予想できます。
 わたくしは、アメリカの陪審員候補者に送られる調査票の内容を読みました。氏名、年齢、住所などの基本情報のほかに職歴、離婚歴、政治活動歴、身内の知的障害者の有無、学歴、宗教、支持政党、障害や病気、趣味、死刑に関する考え方などの項目が並んでいます。そして、その項目の中に、ありとあらゆる質問がならんでいます。
プライバシーなどないに等しい内容です。文字通り素っ裸にされます。国民の司法参加という大儀名分のもとに国民の個人情報を国と裁判所が強制的に手に入れ、毎年候補者だけで36万人、配偶者の分を含めると60万人程度の個人情報が蓄積されてゆきます。
 裁判員法はまさに憲法違反のオンパレードと言えます。
 3点目の問題は手抜き審理が横行し、真相が究明されない可能性があるということです。
裁判員をくじで選ぶ以上、こんな人に裁判をやらせて大丈夫だろうかというような人も出てくるでしょう。著しく能力に劣る人やマナーの悪い人も交じるでしょう。先ごろ起こった秋葉原無差別殺人事件の犯人のような人物でさえも選ばれる可能性も否定できません。審理が長引くと帰宅したいために早く切り上げることもあるでしょう。カープの試合を見に行きたい人もいるでしょう。こうした不満を抑えるために裁判官は、これまで10回かかっていた審理を数回以内に抑えようとするでしょう。したがって、重大事件の裁判は手抜き裁判になる可能性が大です。今月17日に死刑に処せられた宮崎 勉についての精神鑑定は3者3様でした。このような高度な判断を要する事件を素人が裁けるはずがありません。テレビのワイドショーなどの報道によって、思い込みも起こるでしょう。松本サリン事件では第一通報者の男性がマスコミから犯人扱いされました。昨年高松市で起こった女児2人とその祖母の殺人事件では、あまり見栄えの良くなかった女児たちの父親を犯人と断定した人が、わたくしのまわりにも大勢いました。こいつには前科があるからだとか、目つきが悪いからとかで有罪にしたり、涙ながらに無罪を訴える被告人の演技や、弁護士の爽やかな弁舌によって無罪にしたり、直感による判断が優先され、冤罪や誤審が多発するでしょう。裁きたくない、裁くことができないと思っても辞退できず、評議では必ず意見を述べなければなりません。そんな嫌々ながら参加する裁判員が真剣に審理するとはとても思えません。自信がないと言う医者に手術をしてもらう気になるでしょうか。
 さらに、裁判員に動員される国民の負担が大きすぎることも指摘しておきます。被告人が自白し、証拠も揃っているような事件なら3日程度の審理で終わるでしょうが、冤罪も含めて否認しているような事件や高度な判断を要する事件では、10日以上を要するでしょう。そうなると、土日を除いて、2週間拘束されます。小規模な企業主なら納期が遅れたり、発注元からの信用を失ったり、多大な損害を蒙ります。とても1日1万円程度の日当では間尺に合いません。また、金にならない刑事裁判に弁護士が他の案件を放り出して10日間もスケジュールを空けるなど非現実的な話です。そうなると、さらに裁判が長引くことになります。推進派の本の中に、「忙しいと言う会社員や経営者でも、365日働いているわけではなかろう。自分や家族が裁判員に選ばれたので、それを機会に店を3−4日閉めることも働きすぎの日本人にとっていいことではないだろうか。」とか、「開業医にしても1年中診療しているわけではあるまい。予め代診を頼むとか休診にすればよい。そのとき裁判員任務のため休診しますと張り出しておけば、ゴルフや海外旅行に行ったと思われなくて良い。」などと書いてありました。この不景気の中に懸命に働いている方に対して侮辱するような内容でした。

 なぜ、このような大切な法律を作る前に国民の意見を聞かないのか。
なぜ、憲法違反の疑いありと、法曹関係者からも指摘されているのに、強引に国民に押し付けるのか
なぜ、刑事事件、その中でも死刑や無期懲役などの重罪に該当する事件だけに絞るのか。裁判員に対する脅しや身の危険はないのか。わたくしには、こうした疑問と不満は募るばかりです。
 そこで質問です。裁判員候補者予定者名簿の提出スケジュール及び提供内容
はどのようになっているのでしょうか。候補者予定者の選考方法、つまりくじ引きはどのようになされるのでしょうか。
また、本市全体では候補者予定者の割当て員数はどれくらいと予想されていますか。さらに、この予算案が否決された場合、その後の手順はどのようになるのでしょうか。
 現在、最高裁をはじめ下級裁判所までがこの裁判員制度の施行に向けて、なりふりかまわず広報活動をしています。公表されている平成18年度の裁判員制度に関する広報活動費は、日弁連が2400万円、法務省が3億円、そして最高裁がなんと13億円を使っています。本来は行政側である法務省が率先して行うべき広報活動を、なぜ司法側の裁判所が行う必要性があるのでしょうか。
司法の役割の一つに国民の基本的人権を守ることがあります。薬害エイズ、薬害肝炎、原爆症認定などの住民訴訟では国が敗訴しました。いまなら司法は行政からの独立を保っています。司法は政党が支配する国会や内閣という政治の世界とは一線を画し、独自の観点から国民の人権を守ることに存在意義があります。だからこそ、司法が民主化しすぎることの危険があるのです。今回のように、裁判所が行政の先棒を担いで制度推進の広報活動を行うことに、わたくしは司法権の独立の危機を感じます。
 この制度が導入されると、時を経ずして各地で裁判員法が憲法違反であるとの住民訴訟が起こるでしょう。そのとき、この制度を先頭に立って推進してきた最高裁に自らの行動を否定することになる違憲判決が出せるでしょうか。わたくしには、憲法の番人であるべき最高裁が自らその役割を放棄しようとしているとしか思えません。
裁判員法の付則には施行後3年、つまり今から4年後に制度を見直すと書かれています。わたくしは、見直しを前にして国民の不満の声が爆発し、廃止を求める意見が続出すると予想しています。 

 以上述べたように裁判員制度は日本国民そしてわが広島市民に多大な精神的、肉体的、経済的ダメージを与えます。わたくしは言論の府に身を置くものとして、いま、この制度の不備を指摘し、唯々諾々としてこの制度を認めるのではないことを議事録に残したいがためにこの場に登壇しました。
ご清聴ありがとうございました。