広島市議会議員(安芸区)

政治家の世襲について

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 朝から雨模様です。この時期の雨を「春雨(はるさめ)」と表現します。しっとりとした風情の静かな雨です。芭蕉の句に「春雨や蓬(よもぎ)をのばす艸(くさ)の道」があります。春雨が草木を育てる優しさが詠まれています。春と言う季節は優しさと明るさにあふれています。スペイン語では春のことをPrimavera(プリマベーラ)といいます。最初の季節と言う意味です。ラテン系の国々でも希望に満ちた季節と感じているのでしょうか。
 さて、最近政治家の世襲が論じられていますが、世襲は悪いことのように論じる意見が多いようです。わたくしは親族に政治家も医者もいませんので世襲とは無縁です。身近に世襲議員を見ていて、わたくしは一概に論じられないと感じています。政治家の家庭に育って政治家としてのセンスを磨かれた議員もいますし、逆に政治家としての資質が感じられない議員もいます。確かに政治家としてのスタートは有利でしょうが、その有利さがいつまでも続くことはありません。いつかメッキは剥がれ落ちます。会社経営も同様です。無能な世襲経営者は退場させられます。政治家は選挙と言う洗礼を受けなくてはなりません。その人物が政治家として、自分の住む町の未来、子どもたちの将来を託すに足るかどうかが問われます。あくまで選ぶのは有権者です。現在論じられている世襲禁止は、有権者が候補者の評価すらできない無能な存在だと言っているに等しく、余計なお世話です。政党としての内規で規制するのは自由ですが、法律で規制するのは誤りだと思います。政治家として能力のない者は淘汰されるのが民主主義です。それが選挙の厳しさです。だからこそ自分の一票を大切にしなくてはなりません。先日久しぶりに会った岡山の友人は平成19年に現職の参議院議員に投票しました。しかし、その議員の行動を見ていて投票したことを後悔しています。「一票を返せ」と憤慨していました。しかし、その候補者に投票し、当選させたからには次回の選挙まで責任があります。選挙権の大切さと議員のあり方を改めて考えさせられました。近く衆議院の総選挙が行われます。冷静に候補者を見極めてください。