広島市議会議員(安芸区)

吉田 茂の見た夢

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。


 昨夜、「独立心なくして国家なし 吉田 茂の見た夢」を読み終えました。素晴らしい内容でした。独立国の完成を目指して突き進む姿がつづられています。吉田政権は戦争に負けても外交で勝った稀有な例でしょう。確固たる国家観・歴史観を持ち、信念を貫いて、火の玉となって日本を再生させた功労者です。その後に続いた岸 信介、池田隼人、佐藤栄作たちも時代が求めた政治家でした。敗戦という未曾有の国難にときに吉田 茂という政治家を得たことは日本の幸運でした。
 作者の北 康利の文章も見事というほかない素晴らしさでした。

 この本で知ったエピソードをふたつご紹介します。
1.吉田 茂の孫である、麻生太郎元総理の弟、麻生次郎は学習院大学の課程を3年で修了して4年目の1年間を留学の準備に専念。見事、マサチューセッツ工科大学の大学院に合格しました。しかし、昭和39年3月、卒業前の思い出として出場したヨットレースで遭難し、帰らぬ人となりました。「あの子がいなくなったら私は生きてゆけない」というほど次郎を愛していた母親の麻生和子は葬式では涙ひとつ見せず、気丈に振舞いました。吉田 茂は孫の葬式にも参列せず、死の1週間あとに麻生家を弔問しています。そのときも和子とは次郎のことには一切触れず、雑談しただけでした。帰り際、茂は和子に「ありがとう。お前はえらいね。次郎のことを何も言わなかったね」とつぶやいたそうです。どんなに言葉を費やしてもどんなに涙を流しても次郎を失った悲しみが和らぐはずもないことがわかっているとき、あえて触れなかった茂親子のつらさが伝わってきます。麻生太郎元総理にもこんなつらい過去がありました。

2.茂の死から2年経ったとき、執事として使えていた安斎正助が茂亭の庭で焼身自殺を遂げています。最後の言葉は「大事なものを燃やしますので」だったそうです。殉死とも言える壮絶な死です。吉田 茂とは「この人のあとを追って死にたい」と思わせるほどの、比類なき魅力を持った政治家でした。


 今夜から同じ北 康利が書いた「吉田 茂 ポピュリズムに背を向けて」を読もうと思っています。