広島市議会議員(安芸区)

日韓併合は「もはや無効」との合意

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 台風が近づいています。生暖かい風が強く吹いています。幽霊が出そうな風です(と言ってもわたくしはまだ幽霊を見たことはありませんが)。


 昨日、菅首相が談話を発表しました。日韓併合の無効性を含んだ謝罪の内容でした。いつまで謝り続けるつもりでしょうか。


 1965年の日韓基本条約は両国の多大な努力で結ばれました。締結に至る過程で大きな意見の相違は次の3点でした。
(1)日韓併合が正当なものであったか?
(2)植民地時代に対する補償はどうあるべきか?
(3)竹島の領有権


まず、(1)日韓併合が正当なものであったか?
 日本は正当であると主張し、韓国は違法であり無効であると主張しました。日韓基本条約の第2条には日韓併合について、null and void の字句があります。どちらも「無効な」、「拘束力のない」ことを意味する形容詞です。ここで重要なことは、両国合意の下でその前に already(もはや)を入れたことです。つまり正当か違法かは争わず、もはや無効になっているとの合意がなされたのです。
 お互いの「メンツ」を立てた格好です。


(2)植民地時代に対する補償はどうあるべきか?
 補償として韓国側は7億ドルを要求したの対し、日本側の回答は10分の1の7000万ドルでした。キューバ危機を抱え、韓国への援助を肩代わりさせたかったケネディ政権のアドバイスにより、無償3億ドル、有償2億ドル、その他民間融資など1億ドル計6億ドルが支払われました。その名目は「補償」ではなく、「経済援助」です。当時の大平正芳外務大臣は「過去を水に流し、新しい未来を展望するために、経済援助を行う」を伝えた記録が残っています(いわゆる大平メモ)。経済発展が最大の目標であった朴正煕大統領もこれを受け入れました。
 いまでは想像できませんが、当時の韓国のGDPは北朝鮮の半分しかなく、世界の最貧国でした。電力の不足も深刻で、ほとんどの農村では電気を使うことが出来ませんでした。日本の援助によりダムや製鉄所が完成し、「ハンガンの奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。


(3)竹島の領有権
 最後に残ったのが竹島問題です。1951年のサンフランシスコ講和条約で日本はウルルン諸島を放棄しました。ウルルン諸島に竹島が含まれるかどうかが争点で今に至っています。
 このとき、交渉にあたった河野一郎(元衆議院議長河野洋平氏の父君)は
「解決せざるをもって、解決するとなす」こととしました。韓国側もそれまで積み上げた合意を無駄にしないために、お互い竹島には触れないことにしたのです。基本条約締結のためにやむをえない密約だったといえます。その後、李承晩ラインが竹島の外側に引かれたため、以後韓国の実効支配が続いています。


 国と国との威信と名誉を賭けた当時の外交のすさまじさを示すものです。今回の首相談話にそんな先人の苦労への配慮は全く感じられません。両国ともに国内にこの談話を歓迎する勢力は存在します。
 しかし、これからは両国は明るい未来のために協力しあうべきです。謝罪を続けることは何の進展ももたらしません。
 今こそ大平正芳河野一郎たちのまさに命を賭けた外交に思いを馳せるときでしょう。