広島市議会議員(安芸区)

朽ちていった命〜被曝治療83日間の記録

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。


 NHK東海村臨界事故取材班の著書、「朽ちていった命〜被曝治療83日間の記録(新潮文庫)」を読みました。被曝の恐ろしさが生々しく描かれています。1993年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO東海事業所」でウラン燃料の加工作業をしていた大内 久さんの治療記録です。 
 ウラン燃料を流し込んでいた大内さんは、突然「パシッ」という音とともに青い光を見ました。臨界に達した時に放たれる「チェレンコフの光」です。放射線の中でも最もエネルギーが大きい中性子線が体内を突き抜けた瞬間です。その被曝量は8シーベルトと計算されています。この量を一般人が年間に浴びる限度とされる量の2万倍であり、被曝すれば死亡率100%です。
 しかし、救急搬送された病院で医療スタッフが見た大内さんはほぼ3日間外見上は全く正常でした。実際には彼の体は着実にむしばまれていました。放射線障害を受けやすい骨髄、皮膚、消化管粘膜は早い時期から修復不可能となっていきました。つまり、不府は再生されないため、上皮がすべて脱落したままです。消化管の粘膜が再生されないため、一切の飲食物は吸収されません。骨髄は壊れ、血球を生み出すことができません。すべての免疫機能が失われます。内視鏡や皮膚の写真がありましたが、ここまで壊れるのかと医師のわたくしが見ても絶句するほどの状況です。


 被曝から83日目に大内さんは亡くなりました。本人はもとより、ご家族、医療スタッフの姿には涙を禁じ得ない内容です。福島原発事故を改めて考え直す契機として一読をお勧めします。