広島市議会議員(安芸区)

2011年は独裁者が消えた年

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 昨日の雨に洗われた木々の緑が眩しい朝でした。


 きょうは、北朝鮮の「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイルの発射予告期間の初日です。自衛隊は迎撃に備えて厳戒態勢を敷いています。北朝鮮の行動は、運転免許も持たずにF−1レーシングカーをサーキットではなく市中で運転するようなもので、周囲の国々とって迷惑この上ありません。自衛隊の配備などでどれほどの税金を使うのか知りたいところです。


 しかし、マスコミでの「これほどの準備が必要なのか」、「これを機会にして自衛隊を常駐させるのではないか」などのタレントたちのコメントを聞くと、この国の国防意識はどうなっているのかと暗い気持ちになります。無法国家の信頼できないロケットが国内に落ちてくる危険性があれば、万全の準備体制を敷くのが国家の義務です。もしも、破片が落ちてきて人命が失われたら、国の不作為を非難するのでしょう。周囲から何と言われようと、国民の生命と財産を守るのは国の責務です。


 昨年、2011年は独裁者が消えた歴史的な年でした。
 北アフリカチュニジアではベン・アリ大統領が亡命し、エジプトではムバラク大統領が失脚。リビアではカダフィ大佐が民衆に殺害されました。そして12月19日、北朝鮮金正日の死去です。小国での独裁者は現存してはいますが、2011年は世界に影響を及ぼした独裁者が消えた年として歴史に残るでしょう。それにしても、なぜ日本のマスコミは、日本人を拉致し自国民を飢えさせた指導者を独裁者と呼ばないのでしょうか。