広島市議会議員(安芸区)

「皮膚泌尿器科」という診療科がありました。

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
暑さの中にさわやかさを感じる日です。


 きょうから7月。文月です。もうすぐ二十四節気のひとつ、「小暑(しょうしょ)」です。この日からいわゆる「暑中」に入ります。梅雨の終わりに当たるため、梅雨の寒さが残っていたり、夏の本格的な暑さであったりと一定しない機構の時季です。


 さて、最近では見ることが少なくなった「皮膚泌尿器科」という診療科ありました。わたくし自身、医学生の頃、関係のない皮膚科と泌尿器科が一緒になっていることに疑問を持っていました。その疑問が氷解したのは泌尿器科の講義を受けたときでした。

 一昨日、岡山大学泌尿器科学教室開講100周年記念祝賀会に出席し、旧交を温めました。祝宴のときに、皮膚泌尿器科の歴史が話題になりました。


 日本における泌尿器科は、東京帝国大学皮膚科学(当時は皮膚病学梅毒学講座)の土肥慶蔵教授がドイツに留学したとき、皮膚科学と梅毒学とともに、泌尿器科学を学んで帰国したことに始まります。土肥教授は膀胱鏡の創始者であるマキシミリアン・ニッツェ教授に指導を受け、膀胱鏡を持ち帰りました。日本における内視鏡の幕開けです。1998年のことです。


 岡山大学では、大正2年に千葉医学専門学校から岡山医学専門学校長に就任された筒井八百珠教授が外科領域から「皮膚病花柳病科」を分離したことに始まります。
「皮膚病学梅毒学講座」とか、「皮膚病花柳病科」という診療科名からして、当時は性病が蔓延していたことをうかがわせます。
 岡山大学の「皮膚病花柳病科」は昭和36年に「皮膚科」と「泌尿器科」に分離しました。当時、医局は同じ場所にあったため、分離後も当直医は同じ当直室で待機していたそうです。


 簡単にいえば、皮膚科の医師が留学先で泌尿器科にも興味を持ったために、二つの科が一緒になったということです。分離前は皮膚科と泌尿器科の双方を診療できたかも知れませんが、専門化、多様化した現在では不可能なことです。あまりにもあっけない回答に拍子抜けしませんでしたか?