広島市議会議員(安芸区)

一郎は長男ではない?

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 梅雨明けとともに、一気に夏になりました。こどもの頃は夏の暑さが楽しいものでした。炎天下に遊びまわり、元宇品の山に入って、虫捕りをしました。初めて自分でキリギリスとクワガタを捕ったときのうれしさ、感激は今でも覚えています。先日、初めてクワガタを捕った木の場所を探しましたが、すでに道が無くなっていて、果たせませんでした。通学路として使われなくなり、消えてしまったのでしょう。


 きょうも名前について書きます。以前は、男の子には「郎」がよく使われました。「一郎」、「二郎」、「三船敏郎」「明智小五郎」などです。しかし、長男から順番に「一郎」、「二郎」と名づけられたのではありません。長男は「太郎」で次男は「次郎」です。ですから本来、「一郎」は長男ではなく、「二郎」は次男ではありません。三男以下は順番に「三郎」、「四郎」、「五郎」と名付けられました。
 以前は、家族というより一族一門の単位で名づけられました。党首に長男が生まれたら、総領という意味で「太郎」となります。源氏なら、「源太郎」とか、「源太」と呼ばれます。ちなみに、源義朝の長男、義平は「悪源太」と呼ばれました。当時、悪は今とは違い、勇敢とか、優れた武勇を意味しました。「悪源太」とは源氏の総領としての最高の敬称でしょう。義朝の次男朝長は「次郎」で、鎌倉幕府を開いた頼朝は三男で「三郎」です。つまり、「源三郎頼朝」です。ずっと下がって九男がご存じ「源九郎義経」。義経は判官の位を得たので、「九郎判官」とか、「源九郎」と呼ばれました。


 一族一門なので、10人以上、ときには20人以上男子が生まれることもあります。11番目は「十一郎」、これを縮めて「一郎」となります。「一郎」は本来11番目の男子です。しかし、単に「一郎」とすると軽い印象になるので頭に「余」、「与」、「又」などを付けて、「余一郎」、「与一郎」等となったようです。12番目以下も同様に頭に字を付けたました。「小二郎」は12番目、「小五郎」は15番目の子です。「太郎」は総領の名前なので、頭に余分な字を付けた「与太郎」もあり得なかったでしょう。「与太郎」は落語の世界の名前です。
 また、「佐々木小次郎」は次男ではないのなら、本来は「小二郎」とすべきでしょうが、厳しいルールがあったわけではないようです。ただし、次男の次男に対しては「小次郎」は付けられたようです。
宮本武蔵が決闘した京都吉岡道場の「吉岡伝七郎」、「清十郎」兄弟も吉岡一門の17番目と20番目の男子だったことがわかります。


 では、戦国時代の堺の豪商、「茶屋四郎次郎」は何を意味するでしょうか?
 一族の四男である茶屋四郎から生まれた次男ということになります。