広島市議会議員(安芸区)

小学校の統廃合

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 昨日は68回目の原爆記念日でした。わたくしが初めて原爆の悲惨さを実感したのは、中学1年生のときでした。昭和39年の8月6日のことでした。当時、わたくしが通っていた鯉城中学(現在の城北中学)では夏休みでも全員に午前中に4時限の補習が行われていました。その日、被爆者である数学の教師が授業をせずに19年前の被爆体験を語ってくださいました。その時の衝撃は今でも鮮明に記憶しています。
 被爆体験を継承し、核兵器廃絶を訴え続けることはヒロシマの使命です。


 安佐北区の小河内小学校は平成27年4月に飯室小学校へ統合されることが地元と合意されました。小河内小学校の学童数は、平成21年度に15名でしたが、平成25年度は7名に減少しています。27年度には4名になる見込みです。政令市といえども過疎は進んでいます。


 わたくしが昭和33年に入学した元宇品小学校(南区)は、当時学童数は約160名だったと記憶しています。すべての学年は1学級でした。3年生のとき、広島市で最も小さいクラスとして中国新聞に写真が掲載されたときのクラスは23名でした。
 壺井 栄の小説「二十三の瞳」の世界でした。山の中腹にある狭い校庭からドッジボールがフェンスを越えたときには、相当下まで坂を下ったものでした。先生に叱られて山へ逃げ込む子もいました。幼い頃から遊びまわった原生林は庭のようなもので、いくら探しても見つかりませんが、日没後の闇に耐えられずに家の戻るパターンでした。
 あれほどの自然に囲まれた学校で学べたことはわたくしにとっての素晴らしい思い出であり、財産です。