広島市議会議員(安芸区)

東北大震災復興を視察

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 冬型の気候になってきました。寒くなれば入浴や熱燗などの楽しみが増えます。


 11月26日から28日まで所属会派である市政改革ネットワークとして東北大震災の復興状況を視察しました。復興は進んでいるとは言いながら、まだまだ震災の爪痕が強く残っていました。
 住み慣れた沿岸部から強制的に内陸部へ移住させられるケースもあり、市民の間にも複雑な思いが交錯しています。
 広島市からは2名が災害廃棄物対策課に派遣され、尽力しています。
 海岸には防波堤が築かれていますが、どれだけの高さがあれば安全なのか予測不可能です。避難方法や避難場所を整備する方が重要だと感じました。

 
 水門の青い横線は8メートルの高さまで津波が来たことを示しています。
 
 石で書かれた文字は「ゆりあげ」と読み、地名です。山頂にあった神社は跡形もなく流されました。
 
 頂上の慰霊碑。
 
  
 
 山頂にあった石碑は下に転がされていました。

 
 多くの生徒が亡くなった閖上(ゆりあげ)中学校。時計は地震が起きた午後2時48分で止まったままです。いまは廃校になっています。地震は卒業式が行われたその日の午後に起こりました。

 
 右にあるのは、亡くなった生徒の名前が刻まれた石碑。我が子を失った母親は、自分の子が生きていたことを忘れないために多くに人にこの碑を撫でてほしいと語っています。
 
 
 
 廃校になった内部。

 
 学校への道路。両側のガードレールは倒れたままです。

 
 石巻市役所。

 
 石巻市役所は撤退したデパートを無償提供されたものです。 

 
 前方に見える更地は住居が流された後を整地したものです。廃墟となった寺院も見えます。墓地は流されましたが、いち早く再建されたそうです。

 
 僧侶たちの鎮魂

 
 復興商店街

 

 

 
 
 

 
 理髪店、衣料品店、土産物店、食堂など様々な店が軒を並べています。
 
 
 商店街の入り口にはイースター島の石工が製作したモアイ像が飾られていました。

 
 
 
 
 
 何度も放映された、身の危険を顧みず最後まで避難を呼びかけて亡くなった女性職員がいたビル。もう間もなく取り壊されるそうです。