広島市議会議員(安芸区)

活気があった松山市と残念な学生たち

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。


 秋らしい爽やかな風が吹いています。わたくしは、この香りを吸い込むとき子供のころの秋祭りを思い出します。お菓子をもらって、法被を着て、神輿を追いかけた楽しい思い出です。唱歌「村祭り」は、明治45年に小学校向けの音楽教科書「尋常小学唱歌」に掲載されました。「村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる笛太鼓」。歌詞は、あのころの楽しさを連想させます。もうすぐ秋祭りです。各地の神社では収穫に感謝する祭事が行われることでしょう。祭りは農耕民族のDNAです。


 週末に愛媛県松山市に行き、岡山大学泌尿器科の仲間たちと旧交を温めました。若いころ指導を受けた先輩もすでに傘寿を迎えるまでになりました。久しぶりの松山でしたが、地方都市らしい活気にあふれた街でした。三番街のアーケードは広島の本通りのそれよりもはるかに広く老舗も数多く残っていました。中四国では広島市福山市に次いで大きな町だとのことです。


 松山へはフェリーで行きました。呉港に寄りますので片道2時間40分の船旅でした。往路はあいにくの曇天でしたが、デッキで続く島並の素晴らしさ見とれました。

 
 帰途、数十人の学生の集団が乗船してきました。ジャージの背中の上段には、○立広島大学(もちろん国立ではありません)、下段には○泳部と書かれていました。
 客室での2時間余り、かれらは大声で騒ぎ、キャッキャと奇声をあげていました。周囲の乗客の多くは、眉をひそめて、あきれたような視線を向けていました。「傍若無人」という言葉がぴったりの状況です。かれらは心と体と技術を高みに導くためにスポーツに打ち込んでいるのでしょう。しかし、この大学と運動部は社会の基本である、公共の場所では周囲に気を配り、騒いではならないことを教えていないのでしょう。いずれ彼らも社会の最前線に出るでしょうが、行く末が心配です。楽しかった旅も最後に水を差された思いでした。

 
 南区元宇品。山の向こうにグランドプリンスホテルが見えます。右端の白い灯台は、かつては鉄骨作りでした。わたくしが幼少のころ、この灯台に同級生が両親と住んでいました。彼は、うっそうとした森の山道を通って保育園に通っていました。今と違って舗装もされていないうえに、道も狭く、蛇や虫もたくさん見られました。そんな怖い通園をする彼は同級生の英雄でした。田原君、今頃どうしているんでしょうか?

 
 夕暮れの松山観光港。驚くほど高い波浪でした。  
 
 
 松山から広島への復路。