広島市議会議員(安芸区)

1日に2枚の死亡診断書を書いたこと

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 いつの間にか今年も残り2日となりました。この時期の都心は人込みにあふれています。歩くスピードも速く、何かしらせわしない様子です。わたくしは若い頃から、そんな年末の雰囲気の中で感じる「広場の孤独感」が好きでした。


 わたくしは週に2日、友人のグループホームを回診しています。先日の昼過ぎに車で向かっているときに、職員から入所者が心肺停止との連絡がありました。到着したときには、すでに瞳孔も開き、脈も触れませんでした。その方は、昼食も取り、口腔ケアも受けていました。衣服には嘔吐物が見られたので、吐物による窒息と考えられました。

 そこから別のグループホームに移動しました。そこには血圧が下がり、呼吸が荒くなっている入所者がいました。急ぎ関連のクリニックへ入院の手続きを取りました。その他の施設の回診を終えて、クリニックに戻って件の患者を診察し、事後の処置を指示しました。午後11時頃にもう一度クリニックに戻った時には状態はさらに悪化し、死亡は時間の問題と思われました。深夜1時過ぎにクリニックから呼び出しの電話があり、タクシーで駆けつけ、2時前に死亡を確認しました。
 

 つい数時間前まで、お二人は生きていました。ともに90歳前後の年齢であり、戦争時代に多感な年代を過ごし、戦後の復興を見届けました。まさに昭和を生きた人生でした。体温を失ったお顔に手を当てると、愛おしさを感じました。そこには人間の生、死というものの荘厳さ、尊さがありました。日付を跨いだとはいえ、1日に2枚の死亡診断書を書いたのは初めての経験です。自分の死亡診断書で患者の生が完結することの意味の大きさに、改めて身が引き締まる思いでした。