広島市議会議員(安芸区)

民主的だった岡山大学泌尿器科教室の人事

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。

 きょうの産経新聞に興味深い記事がありました。医師の偏在を是正するために、院長など病院経営の管理者選考基準に医師不足地での勤務を認定する制度の創設を政府が検討しているとのことです。わたくしが岡山大学へ入学した当時の医学部学生の定員は約4000名でしたが、医師不足を解消するために各県1校の方針が決まり、現在は医学部の定員はほぼ倍増しています。しかし、定員を増やしても都市部に偏在し、地方の医師不足はひどくなる一方です。生活様式や子供の教育の問題など、なかなか地方勤務を希望する医師が少ないのが現状です。

 わたくしが卒業した頃は、卒業生の80〜90%は岡山大学の医局に入っていました。多くの大学でも同様でした。現在は研修制度が変わり、自由に研修する病院を選ぶことが出来ます。それがますます医師の偏在を助長する結果となっています。新研修制度は厚生労働省の失政だと思います。わたくしが若いころは、山崎豊子の小説、「白い巨塔」のように教授の権力は絶対でした。教授が人事権を握っていましたから、教授が赴任先を指示すればそれに逆らうことなど考えられない時代でした。ヤクザの世界と同様に破門処分になった医師もいました。教室には教授を頂点として、助教授1名、講師2名、助手が数名在籍していました。ここまでが国家公務員で、その他は単なる医局員です。わたくしは、わずか数か月ではありますが文部教官助手という身分の国家公務員だった時期があります。
 
 その当時、岡山大学泌尿器科の人事は、講師以上は教授による人事でした。それ以外の医局員の人事は医局員自身が協議して決めていました。当時では考えられないほど民主的な人事です。夕刻に始まる医局会は、医局員の考えが様々であり、家庭の事情なども絡み、日付が変わることもしばしばでした。 わたくしと同期の研修員は、呉共済病院と広島市民病院のいずれかに赴任することが決まっていましたが、合意に至らず、結局「じゃんけん」で、わたくしが呉共済病院へ、同期の医師が広島市民病院へ赴任することが決まりました。その後の人生を振り返ると、わたくしにとって、あの「じゃんけん」が持つ意味は途轍もなく大きなものでした。「じゃんけん」の結果が逆であったら、議員になることもなく、医局に帰って医学博士としてどこかの院長になっていたかもしれません。運命のいたずらを感じます。