広島市議会議員(安芸区)

江戸時代、町内でこどもを可愛がった理由

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 ゴールデンウィークも残り2日となりました。遊び疲れていませんか?個人的には、日本の休日は多すぎるように感じます。


 今日は「こどもの日」です。こどもは国の宝という言葉がある一方で、児童虐待は増加の一途です。虐待に至らないまでも、自分のこどもに関心が薄い親が増えていることも確かです。こどもの貧困の問題もあります。こどもにとって、現代は以前ほど幸せな時代ではないのでしょう。


 落語の世界や時代劇では、こどもを町内や長屋全体で可愛がったことが描かれます。まるで我が子のように可愛がります。その様子に欧米人が驚き、絶賛した記録があります。これについては面白い裏話があります。江戸の文化、風俗に詳しい方の話です。江戸の人口構成は圧倒的に男性優位でした。そのため結婚できる男性は限られていました。だからこそ吉原のような廓(くるわ)が繁盛し、独特の廓文化が発達しました。落語でも滑稽噺、人情噺、怪談噺と並んで、廓噺というジャンルがあるほどです。


 さて、話の核心はここからです。町内や長屋で夫婦者は少なく、「男やもめ」にとっては羨望と嫉妬の的でした。当時の職人は朝早くから働き、午後2〜3時には仕事を終えていました。たまたま早く長屋に帰った時、近所の奥さんが一人でいることも多かったでしょう。当然(?)男女間の間違いも起こったでしょう。同じ奥さんに間違いを起こした男が一人とは限りません。その奥さんに子供が生まれたとき、「ひょっとしたら、あのときの俺の子かもしれない。眼元や口元が俺に似ている」と考える男も多かったでしょう。それが他人の子を我が子のようにかわいがった理由のひとつです。落語にも似たような話がユーモラスに語られる演目があります。妙に納得させられた話でした。