広島市議会議員(安芸区)

ボルゴグラードの思い出

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。
 開催中のワールドカップロシア大会での日本対ポーランド戦では、時間稼ぎのパスワークに賛否両論がありました。わたくしは、日本チームの戦術は決勝トーナメントに残るために正しかったと考えています。かつてアディショナルタイムで同点ゴールを奪われ、決勝トーナメントに進めなかったドーハの悲劇を繰り返すほうが愚かでしょう。ただし、セネガル対コロンビア戦の結果が変わっていたら、西野監督以下日本チームは袋叩き似合っていたでしょう。そこまで腹をかけた戦術だったと評価します。


 その日本対ポーランド戦が行われたのはボルゴグラードアリーナでした。ボルゴグラードボルガ川に接する都市で、モスクワから南西に位置し、ジェットで2時間の距離です。わたくしは、2008年1月に広島市議会議長代理としてボルゴグラードを訪れました。ボルゴグラードは、以前はスターリングラードと呼ばれ、第2次大戦の激戦地です。ボルガ川を渡ってきたドイツ軍の戦車部隊によって都市の90%以上が失われ壊滅しました。原爆によって壊滅した広島市と同様の境遇にあったことから、昭和43年5月18日に両市は姉妹都市提携を結びました。わたくしが訪れたのは対ドイツ戦勝65周年記念行事に出席するためです。
 
 連日の猛暑と報道されていますが、わたくしがボルゴグラードに行ったのは酷寒の1月でした。空港に降り立ったのは深夜でした。キラキラとダイアモンドダストが舞う光景が印象的でした。
 史上初めての宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンが学んだ小学校もボルゴグラードにあります。


 ダイナモンドダストが印象的。右は当時の米神副市長。

 ユーリ・ガガーリンが学んだ小学校。

 イリーナ・アレクサンドロ・カレワ市議会議長。

 独ソ戦に少年少女も参戦しました。彼らは「ベテラン」という称号で尊敬されています。

 まだまだ眼光鋭いベテラン。

 戦勝を記念して建設されたママエフの丘。

 想像を超えれる大きな像でした。歩いて登りました。

 ママエフの丘へ進む若い兵士たち。

 日本料理店、さくら。和食は人気です。

 さくらの外には広島市から送られたしだれ柳がありました。」

 戦勝博物館のタペストリーに署名。永久保存だそうです。

 大統領就任を控えた当時のメドベージェフ首相。