広島市議会議員(安芸区)

膨大な戦病死と餓死

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。
 73回目の終戦の日を迎えました。230万人の英霊とご遺族に対して静かに祈りを捧げます。


 

 先日、「日本軍兵士」(中公新書)を読みました。先の大戦については相当の知識を持っていたつもりでしたが、思い違いでした。衛生関係を中心に少し内容を述べます。
 戦死者とは銃弾や爆弾を受けての死や、軍艦や輸送船の沈没による溺死(海没死)がほとんどだと思っていましたが、実態は大きく異なります。著者の吉田裕(ゆたか)氏は、戦死を戦闘による死(戦死者)と病気による死者(戦病死者)に分けています。1941年の日中戦争における統計では、戦死者数は12,498人、戦病死者は12,713人で、戦病死者は全戦没者の50.4%を占めています。戦闘よりも病気で亡くなる兵士のほうが多かったのです。
 近代初期の戦争では、常に伝染病や栄養失調などによる戦病死者が戦死者をはるかに上回っていました。日露戦争は初めて戦死者数が戦病死者を上回った戦争です。


 餓死者の数も驚くほど膨大です。秦郁彦日中戦争以降の戦没者230万人のうち、餓死者は37%と述べています。
 さらに、自殺も高率です。小笠原守備隊の生き残りの兵士の手記では、守備隊の死者の内訳は次のようになっています。
 敵弾での戦死が30%、自殺(重傷のために銃での自死、苦痛のために注射や銃で射殺してもらって楽になるなど)が60%、他殺(お前が捕虜になるなら殺すというもの)が10%、事故死(暴発や訓練中の事故死)がごくわずか。

 艦船の沈没による海没死者は35万人です。

 激しい戦闘の中では口腔ケアなどのできるはずもなく、前線に派遣された歯科医はあまりのひどさに驚いています。兵士の7〜8割に虫歯や歯槽膿漏があったとされています。歯科医がいない場合には虫歯に正露丸を埋め込むくらいしかできなかったようです。

 被服・装備も次第に劣悪となり、使用に耐えなくなっています。ゴム底の靴は草によく滑り、防水ではなかったようです。末期には靴のない兵士もいました。
 塹壕足(ざんごうあし)という言葉がありました。衆議衆議院議員で外相・厚相を務めた園田直によると、1937年に始まった武漢作戦はひどい泥濘戦で、ほとんど半年も靴を脱がない時もあり、言語に絶するほどの悪臭を放つ水虫に感染し、戦後も長い間悩まされました。

 以上はごく一部ですが、いずれにしても兵士たちが劣悪な環境に置かれ、苦しめられた実態が描かれた著書でした。一読をお勧めします。