広島市議会議員(安芸区)

アメリカ本土を爆撃した男(1)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 この本の題を見たとき、なんのことやらさっぱりわかりませんでした。太平洋戦争時代にアメリカ本土まで往復する航続距離を持った航空機はなく、空母さえアメリカ本土近くまで侵入することは不可能でした。まさかアメリカ本土を爆撃できたとは?しかも、パイロットはレーガン大統領から星条旗を送られ、爆撃した都市の名誉市民になっています。
 昭和17年4月18日、日本本土が初めて空襲に見舞われました。その5か月後の昭和17年9月9日、日本の爆撃機オレゴン州の森林に焼夷弾を落としました。日本軍がアメリカ本土を爆撃したのは唯一この時だけです。というより、アメリカ本土が爆撃されたのもこの時だけです。


 爆撃したのは、帝国海軍潜水艦伊号25から飛び立った零式小型水上偵察機ゼロ戦とは無関係)に乗った藤田信雄中尉たち3人です。零式水偵は全長8.5メートル。翼、胴体、フロート、プロペラなどに分解されて艦内に収納されていました。これを艦上に出し、組み立てて、76キロ焼夷弾2個を装着します。ここで艦は風上に向いて全速力で走り、カタパルトで水偵を発射します。152キロの爆弾を積んだ水偵は発進した途端に、ガクンと落下します。相当の技量がないと旨く離艦できません。藤田は飛行教官の腕前でした。


しかも、爆弾のせいで時速は140キロしか出ませんでした。セスナよりはるかに遅い速度です。こんな機で米軍機の眼をかいくぐって森林に爆弾を落としました。さて、爆撃に成功しても帰艦が大変です。どうやって潜水艦に戻ったかは次回のお楽しみ。