広島市議会議員(安芸区)

アメリカ本土を爆撃した男(4)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。
 天下分け目のアメリ中間選挙が始まりました。トランプ大統領になって国民は分断されて、歩み寄れないほどの対立が深まりました。かならずしもトランプだけの罪でもないような気もします。


 藤田がブルッキング市役所前に来ると、ほぼ半数の市民が藤田を一目見ようと集まっていました。刀袋を握りしめた藤田が車から降りると、大歓声が沸き起こります。中には拍手しているものもいます。意表を突かれた藤田は呆気にとられ、その場に立ち尽くします。カメラのフラッシュの嵐で藤田の力が抜けます。
 ここに至るまで、在郷軍人会などには、「キューバカストロを招くようなものだ」とか、「なぜ3000ドルの大金を使ってかつての敵を招待するのか」などの反対の声が多くありました。抗議運動はエスカレートし、藤田を招いた青年会議所会員の店が襲われる事故もありました。しかし、日米親善のためにという、青年会議所の説得が功を奏します。
 以下はブルッキング市の歓迎晩さん会での藤田のスピーチの概要です。謝意のあと、続きます。
アメリカ合衆国への私の訪問は、今回で2度目です。最初の訪問は20年前でした。不幸にも当時は両国は戦争状態にありました。私も帝国海軍のパイロットとして任務を遂行しました。
中略
 「この度の私どもの訪問は、あなた方すべての寛容なお気持ちによって実現されました。
中略
 「第二次世界大戦では日本人もアメリカ人も、否、世界の多くの人々が犠牲になりました。日本人もアメリカ人も戦争の愚かさを悟ったと思います。あまりにも多くの代償を支払ったからです。戦争を防ぐにはお互いが友人になることです。日本とアメリカ合衆国はかつて敵同士でした。しかし、今私たちは友情というキズナで深く結ばれており、世界平和に貢献しています。」


 ここで藤田は持ってきた日本刀の説明をします。切腹用だとは言えません。
「この軍刀は私の魂です。片時も離さず、もちろんオレゴン州出撃の時も身に付けておりました。しかし、もう私には必要ありません。これを貴市に寄贈させていただきます。」
 このスピーチは市民の心を打ち、翌朝の新聞には、「フジタ、サムライの魂を市長に贈る」と絶賛されます。

 そして藤田はこう締め括ります。
「私は一生、このご厚情を忘れないでしょう。私にこのような機会を与えてくださったブルッキング市民のみなさまに心から感謝いたします。私は本日が生涯最良の日であろうと信じます。」

 人々は総立ちになり、スタンディングオベーションが鳴りやみません。このとき、杖をつき、足を引きずりながら一人の男性が近づいてきます。フィリピンバターン半島で日本軍の捕虜になり、終戦まで北九州で強制労働させられたローガン・ケイ元陸軍少尉です。二人は会場の中央で固い握手を交わします。   
 ケイは藤田の耳元で囁きます。「過去を忘れて、お互い祖国の繁栄と、日米両国の親善、ひいては人類の幸福という大きな目標に向け努力しましょう。」

 大歓声の中、今度は青年が近づいてきます。
「これは消防団員だった父があなたの投下した爆弾で起きた火災の消火に出動したとき、現場に落ちていた日本軍の爆弾の破片です。父はもうなくなりましたが、あなたが来られたのでこれをお返しします。日米友好の証としてどうか受け取ってください。」
 藤田が手に取ると、あのときの焼夷弾の匂いがかすかに残っていました。
 以下は次回のお楽しみ。