広島市議会議員(安芸区)

陽関の藁

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 いよいよ年の瀬が迫ってまいりました。新年が近づいたというべきでしょうか。わたくしは年末の雑踏が好きで、若い頃には都心をあてもなく散策したものでした。いい年でこれをやると徘徊と間違われるかも。

 

 最近NHKでシルクロードの生放送がありました。懐かしい光景が盛りだくさんでした。敦煌では莫高窟を見学した後、一人でバザールに飲みに出かけました。そこではテーブルごとに担当の女性が決まっていました。自分の店のような感覚だったのでしょう。とはいえ、まったくコミュニケーションが取れません。日本語はもちろん、英語も全く通じません。身振り・手振りだけです。訳の分からないツマミで生ぬるいビールを飲みましたが、いい思い出です。中が見えないほど濁った水槽から魚を掬い上げるのを見ましたが、さすがにこれは食べる気が起きませんでした。

 

 敦煌から西へ陽関を訪ねた時のことです。1000年以上前に建築され、今では崩れかけた土塀から藁が何本も覗いていました。その1本を抜いた時、遥かに遠い時代の光景が見えたような錯覚に陥りました。遠くの城郭から狼煙が上がっているかのように見えました。狼煙によって、陽関から北京までの数千キロをわずか数日で知らせが届いたそうです。日常的に異民族からの侵入に悩まされていた最前線からの情報は貴重だったことでしょう。

 

 8世紀の唐代の詩人・王維の七言絶句「送元二使安西(元二の安西に使いするを送る)」を思い出しました。

 渭城朝雨浥輕塵(渭城の朝雨 軽塵を浥す)

 客舍青青柳色新(客舎青青 柳色新たなり)

 勸君更盡一杯酒(君に勧む 更に尽くせ一杯の酒)  

 西出陽關無故人(西の方陽関を出づれば 故人無からん)

 

 1000年以上も前の時代、地の果ての西方に旅をすることは命がけだったことでしょう。二度と会えないかもしれない親友と酒を酌み交わす寂しさが伝わってくる詩です。