広島市議会議員(安芸区)

100年前に与謝野晶子がスペイン風邪について警告していた。

  いい顔ふやそう。沖宗正明です。 

 

 一部を除いて緊急事態宣言が解除となり、待ちわびていたように各地で人出が増えてきました。第2波が懸念されます。

 しばしば100年前に流行したスペイン風邪が話題となっています。もともとの発生はアメリカの軍隊でした。第1次世界大戦で米兵が各地に派兵され、急速に感染が拡大しました。航空機がなかった時代においては異常な拡大のスピードでした。各国は隠蔽しましたが、スペインで感染が多かったためにスペインにとっては迷惑な濡れ衣でした。

 先日興味深いものを見つけました。1918年11月10日に横浜貿易新報に「感冒の病床から」と題して掲載された記事です。投稿したのは歌人与謝野晶子です。晶子には10人の子どもがありましたが、そのうちの一人が学校でスペイン風邪に感染し、それから家族全員が罹患しました。以下は記事の内容です。

「政府はなぜ逸早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。

 そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、成るべく此の際、多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子供達に注意して居るのです。

社会的施設に統一と徹底との欠けて居る為に、国民はどんなに多くの避けらるるべき、災いを避けずに居るかも知れません。」

 

 そのころ第1次大戦の特需による好景気を享受していた日本では、政府も民間も「三密」を避けるような行動はとっていませんでした。工場は稼働し、大相撲などの興行も盛況、商店には客が溢れていました。首相の原敬自身が集会でスペイン風邪に感染しています。

 そんな中での晶子の警告は現在にも立派に通用する冷静で厳しいものです。