広島市議会議員(安芸区)

空手道部時代の1万本突き

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 いよいよ押し迫ってきました。昨夕、所用の後で流川を車で走りました。多くの店が休業して、ネオンサインを消していました。これほど暗い流川は初めてです。流川の灯が消えないことを祈っています。

 

 昨夜、突然に空手道部のことを思い出しました。もう50年も前の岡山大学1年生の夏合宿でのことです。当時岡山大学空手道部は春と夏に香川県丸亀市にある本島(ほんじま)の宝称寺(ほうしょうじ)に投宿して、本島小学校の講堂で合宿をしていました。7月末の日曜日に下津井港からフェリーに乗って昼過ぎに本島に着きました。わたくしたち1年生は初めての事であり、午後にはビーチに出て力一杯海水浴をしました。

 

 地獄が始まったのは翌朝からでした。午前5時にけたたましい目覚まし時計のベルと、幹部の4年生の「起きよー」という掛け声で叩き起こされました。先輩の布団を畳んだあと、数キロのランニングです。ランニングが終わると、先輩のために井戸水を汲んだり、食事の用意と後片付けをしたり、雑用に負われます。初日の朝食は何とか食べられました。

 午前9時からは3時間、たっぷりとしごかれます。終わると水汲みや食事の世話です。初日の昼食から最早食事は喉を通らなくなりました。昼食が終わって2時間程度昼寝です。そして午後3時に目覚ましが鳴ります。これから3時間の特訓です。ほとんど食べられない夕食を終え、午後9時に消灯です。

 

 水曜日の夕食が終わった時のことです。4年生がわれわれ1年生に向かって「明日は中日なので午前中の練習は休みだ」とうれしい言葉がありました。1年生は躍り上がって喜び、夜遅くまでトランプや将棋などを楽しみました。このとき、先輩たちが大人しくしていたことに気づきませんでした。

 

 翌朝、なんと深夜3時の目覚ましが鳴りました。訳が分からないうちにビーチまで走らされ、海に向かって横一列に並びました。主将は海を背にして部員に正対します。副将は我々の周囲を歩き回りながら気合を入れます。お二人を除く25人が一人10回ずつ気合を入れながら正拳突きを始めました。たまたまわたくしは右端に立っていました。25人がそれぞれ気合を入れて、再びわたくしに番が回ってきました。そのとき、副将がわたくしから少し離れた場所に小石を1個置きました。250回ごとに小石を置くことがわかりました。1000回程度なら小石を置く必要ななかろうと思っていましたが、小石が10個置かれても終わる気配がありません。この時点で5000回の突きかと力が抜ける思いでした。ところが20個つまり5000回が終わってもさらに続きました。ここで初めて1万本突きだと悟りました。東の空は薄明るくなっていました。

 

 8000本を過ぎたころのことです。なんとも心地よい感覚が沸き起こりました。ドーパミンが出始めたのでしょう。あれほど怖くてたまらなかった主将への恐怖心も消え、畏れ多くも罵声を浴びせていました。「矢でも鉄砲でも持ってこい」の心境です。

 9000本を過ぎたころには感動の涙が流れ始めました。そして開始から約5時間をかけて1万本突きをやり終えた時にはその場にへたり込んでしまいました。横を見ると同級生たちも泣いていました。初めて自分の限界を越えることの素晴らしさを体験しました貴重な時間でした。この時の夏合宿に耐え抜いたことはその後の人生の自信に繋がりました。

 

 その3年後、自分たちが4年生の幹部を終える夏合宿では3年前に倣って1万本突きを行いました。前の晩、1年生たちに「明日は中日だからゆっくり休め」と言ったことも3年前と同じでした。