広島市議会議員(安芸区)

忠臣蔵の決算書(3)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 猛暑が続きます。今日は9時半から13時半までグリーナリーナでのワクチン接種を担当します。

 6月13日と7月4日に忠臣蔵の決算書(1)と(2)を書きました。今回は続きです。

 内蔵助の手元には約700両=8,400万円が残りました。当時の1両は現在の12万円に相当します。全ての赤穂藩の処理を終えて内蔵助は赤穂の屋敷を引き払い、京都山科に居を構えました。内蔵助は「預置候金銀請払帳(あずかりおきそうろうきんぎんうけばらいちょう)」(以下金銀請払帳)に細かく使途を書き残しています。多くの支払先、日付、金額、領収証の有無などです。中には藩としてのツケも支払った記録もあります。律儀な姿勢です。討ち入り直前は浪士たちはひどく困窮していたようで、その家賃を支払った記録もあります。

 金銀請払帳に最初に出てくる出金は巨額の仏事費用と政治工作費です。まず、京都の紫野瑞光院に立てた亡君浅野内匠頭の墓のため、瑞光院への寄附として隣接する山を百両=1,200万円で購入しています。手持ちの金の約7分の1を亡君の菩提を弔うために真っ先に使っています。このほか、十両や五両の仏事費が続きます。

 仏事費に続くのが政治工作費、つまり浅野家再興のための工作費用です。浅野城下の円遠林寺の僧祐海を2回江戸に遣わしますが、往復旅費や江戸での方々へのお願いのために合計四十四両を祐海に渡しています。こうした工作費は合計六十五両になります。難しいこととは知りながら、喧嘩両成敗が天下の大法である以上、将軍綱吉に意が通じれば思い返してくれることを期待したのでしょう。しかし、討ち入りの年である元禄十五年の正月には「もはや左様の用事もござなく候」と書き残しているので嘆願工作を断念したようです。

 そのほかで大きい出費は関西と江戸の往復旅費です。内蔵助だけでなく旧家臣たちが何度も往復し、旅費の総額は約七十八両=936万円です。一人分の旅費は総額で三両ほどです。江戸大阪間の平均旅程を約2週間として、一日の費用は約2万5千年円ほどです。宿泊代が約1万円、駕籠などの交通費と食費が合わせて1万5千円です。

  また、江戸詰めであった堀部安兵衛、奥田孫大夫、高田軍兵衛などはしびれを切らし、独自で討ち入ろうと暴発寸前でした。内蔵助は彼らを宥めるために自らも江戸へ下っていますが、突き上げられ、長くは待てないことを感じたようです。急進派を抑えるために七十八両=約1千万円が消えました。さらに江戸でのアジトの購入に七十両が当てられましたが、結局は活用できぬままに終わっています。(以下は次回)