広島市議会議員(安芸区)

田中角栄の冤罪と法務大臣の指揮権

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 朝夕は肌寒くなってきました。今となっては夏の猛暑が懐かしくもあります。


 最近読んだ、元参議院議員の石井一による「冤罪」はすごい迫力でした。角栄の側近の著作であることを差し引いても、十分に納得できる内容です。
 ロッキード事件において最も問題なのは、嘱託尋問調書です。検察から請求を受けた東京地裁は、米国裁判所にロッキード社のコーチャン元副会長らの証人尋問を委託しました。予想された証言拒否に対処するため、検事総長東京地検検事正は不起訴宣明(刑事免責)を出しました。これに対して最高裁の15名の判事も全員一致により、刑事免責を認めました。日本の法律に刑事免責はなく、これは憲法違反であり、それによって入手した嘱託尋問調書を証拠採用したことも憲法違反です。しかも、角栄の弁護人側の反対尋問の機会は与えられませんでした。
 角栄が死去したのちに最高裁は、その最終判断で嘱託尋問調書を違法収集証拠とみなし、証拠採用から排除しました。しかし、1審と2審で角栄が有罪となったのは、この嘱託尋問調書に基づいたものでした。嘱託尋問調書の証拠採用が誤りであるなら、この裁判自体を無効にしなければなりません。最高裁下級裁判所に差し戻した上で無罪とするのが当然でしょう。


 当時のマスコミも大多数の国民も角栄が無罪になることなどありえないと考えていました。裁判所もそれらに影響されたのでしょう。しかし、司法の役割は、少数であっても冷静に道理を全うすることであり、判決が時の勢いで変わることは正義とはいえません。巨悪とやっつけろという世論に裁判所が負けたのです。当時の三木総理も稲葉法務大臣も世論に迎合しました。


 佐藤栄作が造船疑獄で逮捕寸前のとき、時の犬養法務大臣は吉田総理の意を受けて指揮権を発動しました。政治の圧力が検察の正義の行く手を阻んだように報じられています。しかし、実態は操作に行き詰まった検察が吉田総理に働きかけて犬養法務大臣に指揮権を発動させたというのが定説になっています。   

 このことは、検察が持つ捜査権限や公訴権の行使という巨大な権力を抑制する唯一の民主的コントロール法務大臣の指揮権であることを示しています。 検察に対する指揮権は、むしろ国民を守るためにあるということを認識する必要があるでしょう。当時は三木総理と稲葉法務大臣よる逆指揮権が発動されました。三木総理は米国に新書まで送ってコーチャン証言を求めました。


 厚生労働省の村木局長が逮捕された郵便不正疑惑は後に全員が無罪となりました。このとき、東京地検特捜部の検事が、無罪の証拠となるフロッピーディスクを検察が描いたストーリーに沿うように改ざんしたことも判明し、3名の検事が逮捕されるという前代未聞の不祥事を起こしました。われわれも冤罪の可能性を持っているのです。検察の不当な権力行使をを抑制する手段を持つべきです。


 最後に石井一は、ロッキード事件は、明らかに米国政府、日本政府、最高裁判所東京地検特捜部、マスコミが作り上げた「反角」の世論による、歴史に残る汚点であり、起訴された事件の99.9%が有罪になるという日本の刑事事件の特異性の毒牙にかかった、典型的な冤罪である。結論付けています。
 オヤジ、ありがとう。田中角栄内閣総理大臣の御霊よ、安らかに。と結んでいます。


 縁あって、わたくしは石井一さんとは懇意にしていただいています。彼の誕生パーティーで自らが歌った、フランク・シナトラのオール・オブ・ミーは素晴らしいリズム感でした。この著作を読んで、わたくしの中での彼の評価はさらに高まりました。文章力も非常に高いものでした。一読ください。


 80歳を超えてもこのダンディズム。



 チャーミングな歌手との共演でした。