広島市議会議員(安芸区)

「ゴロツキ」の由来

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 よく降りました。近所の瀬野川は激しい増水です。もうすぐ梅雨明けでしょう。


 「ゴロツキ」とは、ごろつくが名詞化されたもの。ごろはゴロゴロ転がる意味。
一定の住所・職業を持たず、あちこちをうろついて、他人の弱みに付け込んでゆすりや嫌がらせをする悪者。無頼漢、ゴロ。破落戸とも書く、などが辞書に書かれています。



 わたくしなりに別の解釈をしたので書きます。
 江戸時代の侠客には「五郎」が付く名前が多くあります。
 山本長五郎清水の次郎長で知られています。次郎長の子分に大瀬半五郎がいます。
  新門辰五郎は大前田英五郎、江戸屋寅五郎と共に「関東の三五郎」とも呼ばれていました。辰五郎は江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師でもあり、浅草浅草寺門番も務めました。娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾となったほどの名士(?)です。勝 海舟とも親交があり、江戸城無血開城が不可能になった場合には、江戸市民を救う方策を海舟と練っていたことでも知られています。


 飯岡助五郎は俗にいう「二束のワラジ」で、侠客と十手持ちを兼ねていました。天保水滸伝でも知られた、笹川繁蔵との抗争は時代劇の定番ともいえるほど有名です。繁蔵の応援団に名を連ねた平手神酒はこの抗争で落命します。神酒は、先日亡くなった田端義夫の「あれをご覧と指さす方に」で始まる「大利根月夜」に登場します。
 三波春夫は「大利根無情」で「落ちぶれ果てても、平手は武士じゃ」と唄いました。映画では、酔っぱらって一升徳利を片手に立ち回りする姿がありました。酔っぱらって斬り合うことは不可能ですが、そこはフィクション。


 五郎とは本来は五男の名前ですが、「ゴロウ」は語感もいいし、強そうに思えます。そんな理由から侠客が「五郎」を名乗ったのかもしれません。そこで、結論。この「ゴロウ」がなまって、「ゴロツキ」になった。
 元アイドルの野口五郎やコメディNO.1の前田五郎はどうなんでしょうか?


 次回は、太郎と一郎の違いなどについて書きます。