広島市議会議員(安芸区)

月亭可朝の遺言〜最期までやってくれました。

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 雨が心配されたフラワーフェスティバルも好天に恵まれて盛況です。


 3月28日、落語家の月亭可朝が亡くなりました。享年80歳。1969年の「出てきた男」と「嘆きのボイン」は衝撃的でした。レコードのジャケットには「歌謡曲」ならぬ「歌笑曲」となっていました。「出てきた男」の歌詞は、「ある道で、美人がひとり。浅岡ルリ子と吉永小百合と、リーナ・ロロブリジダを足して3で割ったよな女。お稽古ごとの帰り道。今日は帰りが遅なった。」・・・・・・。「ねえちゃん、どこへ〜行くのんけ〜?私は峠を越えてお家へ帰る途中です。そら〜危ないで〜。女の夜道は危ないから、僕が家まで送りましょうと。この男、はじめのうちは何にもせなんだけども、途中まで来ると、やにわに行動に移りだしよった〜」。この送りオオカミになった男を別の男が退治します。この男もまた送りオオカミになったところにまた別の男が現れて彼女を救います。「飛行機投げやハンマー投げで、この男を追っ払ってくれた〜。娘はんの両親が喜んだ〜。なんと勇敢な男性でしょう。うちの娘も年ごろや。どうか結婚してくださいと。二人はうまいこと結ばれた。ところがよくよく考えてみたら、その婿はんは一番初めに出てきた男やったやおまへんか〜」。あまりのばかばかしさに笑い転げました当時わたくしは高校3年生で受験勉強の真っ最中。一服の清涼剤でした。レコードを学校で見せると、「この時期にこんなレコードを聴くとは、お前は余裕があるか能天気かのどっちかだな」と言われたことを思い出します。

 
 この2曲でブレークした後の1971年に可朝は参議院選挙全国区に出馬しました。公約は「一夫多妻制の確立と、風呂屋の男湯と女湯の仕切りを外すこと」でしたから、なんとも有権者を愚弄したというか、人を食ったものでした。これこそ彼の真骨頂でしょう。
 また、交際していた女性とラブホテルで結婚の約束をしましたが、それを反故にしたため女性から訴えられました。裁判所は、ラブホテルで情事の際に行われた婚約は無効であるとして、可朝は晴れて無罪となりました。ハチャメチャな上方芸人を貫いた生き方でした。可朝に言わせると、「ヤタケタな」生き方です。
 可朝は死の直前に過去の曲を集めたCDを出しました。早速購入しましたが、わたくしには彼の遺言としか思えませんでした。ご冥福を祈ります。