広島市議会議員(安芸区)

こんなに良き時代もあった日韓関係

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 昨日深夜、統一地方選の後半戦の当選者が決まりました。2週間前、自分の開票状況に一喜一憂したことが遠い過去のようです。後半戦でも投票率の低さは覆うべくもありません。それぞれの自治体共通の悩みです。とくに豪雨災害に見舞われた坂町では、前回が無投票であったにしても、前々回の64.31%から10.19%もの低下です。

 

 先日、中曽根康弘元総理と、その政権の官房長官を務めた後藤田正晴両氏の回想録を読み返しました。見事な連携ぶりには驚くばかりです。このコンビだからこそうまく処理できたと思わせる危機が数多くありました。日米関係と日韓関係の改善、武器技術供与問題、三公社の民営化、ソ連による大韓航空機撃墜事件、イライ・イラク戦争での掃海艇派遣、三原山噴火時の全島民避難etc.よくもこれだけの大問題を処理できたものです。両者のコンビは戦後最強であったと思います。当時の日本は国際的に尊敬を集めるに足る国家でした。

 

 中曽根氏の回想で、そんなこともあったのかと信じられない感想を持ったことを挙げます。

 それまでの総理はまず米国を訪れたのちに訪韓していました。中曽根氏が総理に就任して最初に訪問したのは韓国でした。中曽根氏は、総理就任前から最初に訪れるべきは韓国であると考えて、韓国語を勉強しています(サミットを念頭に置いてフランス語も勉強しています)。韓国国会での演説の最初の三分の一と最後の三分の一を韓国語で行いました。これが韓国国民の琴線に触れました。中には涙を流しながら聞いた方もありました。当時の日韓関係は最悪で外交断絶に近い状態でした。中曽根氏はあらかじめ全斗煥大統領に電話し、関係改善への協力を要請しました。金浦空港で飛行機を降りると、日の丸が掲げられ、君が代が吹奏されました。しかし、総理一行の車列を迎える人の数は少なかったようです。ところが総理の演説もあって、日程を終えて空港へ向かうときには大勢の人が道路に出て、手を振ってくれました。

 

 現在の日韓関係を考えると、はるか昔のおとぎ話のようです。いまの大統領には期待するほうが無理でしょう。

  次回は中曽根政権での肚の座った閣僚について書きます。