広島市議会議員(安芸区)

我が国初の女性大臣、中山マサ

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。

 今では珍しくもない女性大臣ですが、初の女性大臣は中山マサさんです。1960年に厚生大臣に就任しました。時の総理は池田隼人、この人事を進言したのは大平正芳外務大臣と言われています。当時は厚生省の予算も多くなく、重要閣僚ではなく、池田内閣の目玉人事でした。私は小学3年生の時でしたが、このニュースをよく覚えています。

 1か月前から、企業の決算をチェックするために日本経済新聞の購読を再開しました。新しい本の広告が多いのも魅力です。最終ページに「私の履歴書」が掲載されています。いまは第一三共の常任顧問である中山譲治さんのものです。ここで初めて彼の祖母が中山マサさんであったことを知りました。マサさんの長男は元衆議院議員の太郎、四男は同じく正暉です。譲治さんは太郎の長男です。マサさんの初当選は1947年で、同期には田中角栄中曽根康弘鈴木善幸、園田直など多士済々です。夫の福蔵も政治家でしたが、当選より落選の方が多く、選挙には強くありませんでした。

 マサさんは1891年に長崎市で生まれ、当時としては珍しいケースですが、1921年に米オハイオ州・ウェスリアン大学に留学しています。マサさんの父が米国人であったことも大きかったのでしょう。写真でも日本人離れした風貌です。

 マサさんが大臣に就任した当時は、小児マヒが大流行していました。私の母も大変怖れていたことを覚えています。高価な米国製の注射ワクチンと安価なソ連製の経口生ワクチンがありましたが、小児麻痺の研究をしていた太郎の意見を入れてソ連製ワクチンの輸入を行い、無料で提供しました。米ソ冷戦時代には重い決断だったでしょう。これにより小児マヒは終息に向かいました。

 私は、マサさんの大臣就任は池田内閣の単なる点数稼ぎだと思っていましたが、全く違いました。彼女の偉大な功績に改めて感謝したいものです。