広島市議会議員(安芸区)

子供のころ国鉄の一等車に乗せてもらったこと

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 岸田新総理の所信表明演説をラジオで聞きました。初めての所信表明なので様々な評価があるでしょうが、総花的であり、わたくしには少々物足りない印象でした。評価は総選挙でなされるでしょう。

 

 最近、新幹線での移動はグリーン車を利用することが多くなりましたが、50年前、わたくしが学生の頃には一般の二等車に対して高級な一等車にはほとんど乗客がいなかった印象です。一等車がグリーン車と名前が変わったのは昭和50年頃だったと思います。新幹線が広島まで延伸されてしばらく後の話しです。

 

 一等車について、忘れられない思い出があります。小学生の頃、わたくしは今では廃線となった宇品線沿線の丹那駅近くに住んでいました。当時の国鉄宇品線の駅は始発の宇品から丹那、下大河、上大河、南段原、大洲、広島であったと記憶しています。

 宇品から帰宅するときのことです。父が一等車に乗せてくれました。一日にわずかですが、宇品から山口県の柳井への列車があり、これに一等車が連結されていました。ほかに乗客はなく、シートに被せられた白いシーツが眩しかった思い出があります。宇品から丹那まで、わずかに一駅の旅でしたが、子供心に素晴らしく贅沢に思えました。当時の国鉄料金は宇品から丹那まで大人10円、子供は半額の5円でした。今と違って一等料金は二等の2倍だったので、わたくしは10円でした。子供にとって偉大な父に乗せてもらった一等車の白いシーツは忘れられません。