広島市議会議員(安芸区)

アフリカ大陸を見た話

いい顔ふやそう。沖宗正明です。

広島市でも新型コロナの患者数が高止まりです。収束が見通せない辛さがあります。かつて瀬戸内寂聴は、「今がどん底だと思えば希望が持てる」と言いましたが、現状はとてもどん底だと思えません。医師として自分のできることをするだけです。

 

さて数年前になりますが、アフリカ大陸を見たことがあります。見たという表現は変ですが、はるか遠くにかすかに大陸が見えたということです。スペインのグラナダアルハンブラ宮殿を見学した翌日、シエラ・ネバダ山脈を越えて長距離バスでアンダルシア州のロンダに向かっているときです。ガイドから「珍しくアフリカ大陸が見えます」とアナウンスがありました。確かに地中海を越えて、遥か彼方にかすかに陸が見えました。モロッコでした。まさかのサプライズでした。

 

アフリカとの縁は若い頃、研修を終えた時ゆっくり将来を考えようと船医を務めようとした時期がありました。このときにオファーがあったのが神戸からアフリカへの貨物船でした。結局船医になることは果たせず、泌尿器科医になりました。そのとき以来のアフリカとの繋がりでした。

 

シエラ・ネバダ山脈はアメリカにもあります。ラス・ベガスの北西で、ヨセミテ国立公園があります。ちなみにシエラはスペイン語Sierra、山脈の意味です。ネバダNevada、雪が降るという意味です。つまりシエラ・ネバダは雪が降る山脈です。ことさらに山脈という単語を続ける必要はありません。Hondori Streetと言うようなものです。

すごい混雑=イオンモール

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 きょう、安芸郡府中町イオンモールで新型コロナワクチン接種の問診を担当しました。型通りの質問を繰り返すのは結構疲れますが、少しでもコロナ禍を鎮めることに役立てる意義を感じています。

 昼食のために3階のフードコートに行きました。ご存知の方はお分かりと思いますが、飲食のスペースは相当の広さです。しかし、座る席を見つけるが大変でした。かなり離れた場所に席を確保しましたが、その混雑ぶりには驚きです。20日から、まん延防止等重点措置が適用されますが、国民の自粛疲れを強く感じた体験でした。

 それにしても昼食が「たこ焼き」10個で終わったことを自分でも可笑しく思いました。次回はもっとパワーが出る昼食を摂ります。

呼び出し電話

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 町内会の加入率が年々下がっています。わたくしの町内会でも高齢化が進み、世話をする人 が少なくなって、町内会解散が議題に上りました。現状はなんとか解散せずに維持していますが、いつまで続くか危機感があります。

 

 わたくしが小学生の頃は自宅に電話がある家はごく僅かでした。学校の連絡網には呼び出し電話が書かれていることが多くありました。わたくしの場合は、2軒先の方がわざわざ呼び出しに来てくださいました。「沖宗さーん、電話ですよー」の声が記憶に残っています。呼び出す方も呼ばれる方も特別に違和感もなかったようです。コミュニティという言葉はありませんでしたが、地域のつながりが強い、いい時代でした。

 不思議ですが、60年も前の、その呼び出していただいていた方の電話番号を今でも覚えています。当時広島市の市内局番はまだ一桁の時代でした。市内局番は省きますが、〇―0097でした。今でも感謝しています。

 

 馬齢を重ねるに連れ、次第に記憶があやふやになりますが、いくつかの電話番号は記憶から消えません。若い頃の何人かのガールフレンドの家の電話番号を今でも覚えています。「年寄りは古いことをよく覚えている」という言葉がわが身に降りかかるとは・・・・・

最近購入した本

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 新型コロナで外出の機会が減り、時間を持て余すことも多くなりました。これを幸いに読書に当てています。

 

最近購入した本は以下の通りです。

1.女たちのポリティックス  幻冬舎

   私の知らない女性政治家たちの棚卸。たとえばドイツのメルケル首相を「ヨーロッパの漬物石」と揶揄しています。逆に言えば日本の女性政治家の物足りなさの裏返し?

2.だから、あの人は嫌われる  幻冬舎

   気をつけなければ・・・・

3.プロイセン王家12の物語  光文社

   高校で世界史を選択しなかったので改めて勉強

4.闇の盾

権力者たちが闇から闇に処理していた。元警視総監、秦野章の秘書を務めた男の回顧録。凄まじい内容でした。

5.資源大国アフリカ  Windy Books

  南アフリカの治安の悪さがこれほどとは。日本人には想像できません。

6.米韓同盟消滅  新潮新書

  あながち荒唐無稽とは言えないのでは?文寅在一派ならやりかねない。

7.職業政治家 小沢一郎  朝日新聞出版

  改めて小沢の足跡を学びます。

8.家賃滞納という貧困  ポプラ社

  コロナ禍で追い詰められる人たち

9.中国共産党暗黒の百年史  飛鳥新社

  おなじみ石平の著書

10.人新世の「資本論」  集英社新書

  先進国は自分たちの快適な生活のために、低開発国に環境破壊を押し付け、資源を略奪している。電気自動車も地球全体から見れば決して環境に優しくないと警告。

11.60分でわかる!SDGs超入門  技術評論社

上記の人新世の「資本論」に衝撃を受け、改めてSDGsを勉強しなおします。

12.SDGsの正体  PHP研究所

   SDGsにはウラがある?

13.SDGs 危機の時代の羅針盤  岩波新書

14.14歳からのプラスチックと環境問題  インビジュアル研究所

15.SDGs  中公新書

16.世界は広島をどう理解しているか  中公新書

15.評伝 福田赳夫  岩波新書

忠臣蔵の決算書(最終章)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 今回は忠臣蔵の決算書の最終章として、浪士たちや上野介の縁者がどうなったかを書きます。

 討ち入り後に行方不明となった足軽寺坂吉右衛門以外の46人の浪士は細川藩、伊予藩、長府藩岡崎藩にお預けとなりました。相当の厚遇であったようです。浪士たちは即日にでも断罪に処せられることを覚悟していました。自分たちの評判が良いことを聞いても切腹になるかもしれないと期待したようです。元禄16年(1703年)
2月4日、幕府から浪士たちを預かっている四家に切腹を命じる上使が派遣されます。上野介を討ったことは「公儀を恐れざるの段、重々不届き」というものでしたが、当時の観念から言っても切腹は軽い処罰でした。討ち入りは当初幕府が喧嘩両成敗を行わなかったことから起こったことであり、幕府も後ろめたい思いがあったのでしょう。

 

 討ち入りに関する処罰は浪士だけに留まりませんでした。46人の遺児で15歳以上の男子は伊豆大島へ遠島となります。19人いた遺児のうちこれに該当したのは4人です。15歳未満の者は、15歳になるまで縁者に預けられ、15歳になって遠島となりました。女子は「お構いなし」となっています。伊豆大島にも浪士たちの評判が届いており、遺児たちの待遇は良かったようです。

 

 また、上野介から家督を継いでいた吉良左兵衛義周(さひょうえよしちか)は討ち入りにとき防戦して手傷を負いましたが存命でした。浪士たちへの切腹が命じられたと同じ2月4日、大目付の仙石伯耆守から呼び出され、「親の恥辱は子として遁れがたい」として信州高島藩へ「お預け」となります。ここでようやく幕府は喧嘩両成敗を認めたことになります。

 

 浪士たちの縁者は遺児たちの放免運動を行います。宝永3年(1706年)8月、幕府は瑶泉院らの願いを容れ、将軍綱吉の生母、桂昌院の一周忌を機に、流罪となっていたものを放免します。さらに宝永6年正月に綱吉が没すると、後を継いだ六代将軍家宣は、綱吉の代に罪を得た者のうち3,839人に大赦を命じました。このとき、46人の遺児たちもすべて大赦とされました。さらに広島藩にお預けとなっていた浅野大学も赦され宝永7年9月、500石を与えられて旗本として格式のある「交代寄合(こうたいよりあい)」に取り立てられました。

 内蔵助の妻りくが離縁されたのちに生まれた三男の大石大三郎は、広島藩浅野家に新地1,500石で召し出されています。これは内蔵助の石高と同じです。12歳の子どもにこれほどの領地が与えられるのは異例です。

 浪士たちの志の高さが子孫に継がれました。広島人として赤穂浪士を身近に感じます。いま、忠臣蔵の決算書と同じ著者による関ヶ原の決算書を読んでいます。動いたお金は3000億円。すごい戦いでした。

 その次は「経理から見た日本陸軍」を読む予定です。その次は「経理から見た日本陸軍」を読む予定です。

 

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