広島市議会議員(安芸区)

伝説の宮大工、西岡常一棟梁のすごさ

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 五月晴れという言葉がぴったりの日差しです。


 高速ツアーバスでの事故について、コメンテーターがしたり顔で「安かろう、悪かろうは当然だ」などと述べています。かれらはつい最近までLCC(格安航空)について絶賛していたはずです。同じ安い料金でも、LCCは良くてもバスツアーが悪いという矛盾に気づかないのでしょうか。

 
 今日は薬師寺のはなしです。
 薬師寺の東塔は解体修理のため全体をスッポリと覆われていました。西塔は伝説の宮大工、西岡常一棟梁が指揮して修理が行われました。完成は昭和56年のことです。
 当時の高田好胤管長はタレント管長と陰口を叩かれながら、写経によって資金を集めました。再建のために「泥をかぶる」覚悟だったのでしょう。列車での移動も自由席を使ったそうです。薬師寺の再建は好胤管長の手腕のおかげです。西塔だけでなく、金堂や講堂、中門なども再建されました。驚いたのは、なんとわたくしの家内も高校生の時、寺内に宿泊して写経をしたそうです。家内がそれほど信心深かったとは知りませんでした。


 西塔再建にあたっては大きな論争がありました。「台風や地震、火災から文化財を守るためには鉄筋コンクリートで補強すべきである」と建築学者が主張しました。しかし、西岡常一棟梁は「鉄は持って数百年程度。木材(ヒノキ)は千年持つ。鉄を使うとその部分から腐食する」と一歩も譲りませんでした。しかも、木材の収縮を考えて東塔よりも30センチ高く再建しました。「300年経つと東塔と同じ高さになる」と啖呵を切りました。
 一昨日、あらためて西岡棟梁とその一番弟子、小川三夫さんの著書を読み返しました。「木のいのち、木のこころ(草思社)」です。「天」の巻は西岡棟梁が、「地」の巻は小川さんが書いています。表紙をめくると、「1995年11月9日 ニチイ海田店」とわたくしのメモがありましたので16年も前に購入した本でした。読み返して、その内容の深さに改めて感動しました。教育とは、技術とは、リーダーシップとは、文化とは何かを教えてくれます。多くの珠玉の言葉がちりばめられた本です。ぜひともお読みください。
 


 内容の一部を紹介します。
1.「仕事は手取り足取り教わるものではない」。先輩の道具や所作を見て習うもの。それが「見習う」ということ。

2.「大きな伽藍を再建するには樹齢2000年のヒノキが必要」。ヒノキの産地、木曽には樹齢500年のヒノキしかない。2000年のヒノキは台湾にしかない。樹齢2000年の木の森に入ったら、神々しさに自然と頭が下がる。

3.「木は生育の方位のままに使え。東西南北はその方位のままに。峠および中腹の木は構造材に、谷の木は造作材に」。
 山の南向きに育った木は南側に使う。南側に育った木には枝が多く節が多く強い。また、中腹以上から峠までで育った木は充分に光を浴びてしっかり育っている。日当たりはいいが、風も当たる、雨にも叩かれるから木質が強く、癖も強い。だから柱や桁、梁などの建物を支える骨組みに使う。逆に谷で育った木は素直に育っているので、癖がない代わりに強さもない。だから長押や天井、化粧板などの造作材に使う。

4.「堂塔の木組みは寸法で組まず、木の癖で組め」。
 左に戻ろうとする木と、右に戻ろうとする木を組み合わせて全体の癖を封じてゆがみを防ぐ。同じ方向に戻ろうとする木を組んだら建物がゆがむ。

5.「ひとつに止まる。これ正なり」。
 ひとつにまとまったものが正しい。ひとつは「一」。止めるという字の上に乗せたら「正」になる。
 書き切れないほどの素晴らしい言葉が続きます。


 小川三夫さんが弟子入りを志願したとき、「宮大工は100年間仕事がないこともある。飯が喰えないからやめとけ」と言われたそうです。実際にそのときに西岡棟梁は仕事がなく、法隆寺の鍋の蓋を削っていたそうです。弟子入りを許されたときに西岡棟梁は自分の家族全員に言い渡しました。「小川は私の後を継いでくれる人や。ありがたいことや。これからは何でも小川は私の次にする。おまえらは息子やけれども今日からはこの人の方が上や」。それからは小川さんは、食事の席も棟梁の次の席に座ります。風呂も棟梁の次です。しかも、小川さんより年が一回り上の、棟梁の長男が風呂焚きまでしたそうです。超一流の職人の世界の厳しさです。


 西岡棟梁に言いたい。
「あなたがいてくださったおかげで日本の歴史と技術は継承できました」と。



 
薬師寺の伽藍。青と赤(丹)が鮮やかです。これがまさに、奈良の枕詞「青丹よし」です。右に見えるのが西岡棟梁が再建した西塔。左に白く見えるのは東塔を覆うカバー。

 
 
西岡棟梁が再建した西塔。


 
聖武天皇陵。参拝者はゼロでした。しかし、翌日の5月2日は聖武天皇祭(天皇の祥月命日)で、付近は道路が狭く、大渋滞になるそうです。奈良で最も大きな行事がこの聖武天皇祭と、東大寺二月堂の「お水取り」です。

 
鹿が守って(?)いました。