広島市議会議員(安芸区)

平城京跡を近鉄が横切っている

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。


 今日は万葉のふるさと、奈良について書きます。東大寺などの有名な観光名所には触れずに、知られざる穴場ともいうべきところについてお伝えします。
 まずは表題に驚かれたかもしれません。「国の大切な歴史的遺産を横切るとは、近鉄はけしからん!!」と思わないでください。わたくしは、近鉄ファンとしてこの表題を付けました。
 近鉄は、奈良線を建設するとき、予想されていた平城京跡から十分に離した場所に線路を敷設しました。ところが、いざ発掘してみると平城京跡は予想以上に広大であったため、結果として跡地を横切る形になったのです。むしろ近鉄の配慮を評価すべきでしょう。


 平城京遷都は710年、元明天皇によって行われました。歴史では「なんと立派な平城京」、「うぐいす泣くよ平安京」と覚えましたね。現在の平城京跡は、再建された朱雀門大極殿から往時を偲ぶだけですが、その巨大さには圧倒されます。朱雀門大極殿を結ぶ道を朱雀大路と呼びます。大極殿を背にして左側を左京、右側を右京と呼びます。1400年も前にこれほどの都を建設したことは驚きです。実際の都は地下数メートルの位置に埋もれており、このまま永久保存されます。完全に発掘調査が終わるのは数十年後になるそうです。周辺の指定された地区では地下を掘ることは禁止され、所有する土地の地下部分の保存も義務付けられているそうです。厳しい条例です。当然、近鉄平城京跡に配慮して「地下に潜る」ことは禁止されていますので、線路はこのままです。
 

 平城京跡に立つと、はるか昔の皇族や貴族、豪族たちが民を安んじるために苦悩し、政争に明け暮れた様子が浮かんで来るようです。天皇は外国の賓客を朱雀門で出迎え、700メートル離れた大極殿まで案内したのでしょう。


大極殿


朱雀門