広島市議会議員(安芸区)

人命救助した医師が訴えられる?

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 寒波が居座って動きません。今年は「カメムシ」が多かったので、寒い冬になると聞かされていました。理由はわかりませんが、言い伝えだそうです。昔の人の経験則は的を射ています。


 先日、ある政治家の新年会に出席したときのことです。延々と来賓のスピーチが続いて、開始から40分が過ぎたころ、会場の後方にいた出席者の一人が倒れました。前のテーブルのわたくしにお呼びがかかりましたのでロビーに出てみると、80歳代後半の男性がソファーに横たわっていました。呼びかけても応答がなく、手首の橈骨動脈は触れず頸動脈も触れなかったため、最悪のケースも頭を過ぎりましたが、突然に大きな「あくび」をしました。まだ亡くなってはいないことはわかりましたが、あくびは脳の虚血を意味します。おそらく相当に血圧が下がっていたのでしょう。そこで、そばにいた知人に両足を持ち上げてもらいました。血圧が下がったときに両下肢を拳上すると、下半身の血液が心臓に集まり、上半身とくに脳の循環が改善します。1分もしないうちに意識が戻り、頸動脈も触れるようになりました。救急車が到着したときには、意識もはっきりして、自分の住所や生年月日も書けるほどに回復しました。血圧も120あり、酸素飽和度も正常でした。病院へ搬送することなく、自分で帰宅しました。


 あとでわかったことですが、このとき倒れた方のそばには友人の医師がいたのです。わたくしの処置が終ったあとで、彼は救急車に任せればよかったと言いました。下手にかかわると後で面倒なことになるとの危機管理意識からです。確かに、その方が亡くなっていたり脳卒中心筋梗塞など一刻を争う状態であったら、警察から事情聴取を求められたり、救急車への同乗を求められたでしょう。しかし、わたくしは、反射的に処置を試みました。そんな危機管理意識は全く持ちませんでした。使命感というような高尚なものでもなく、自然に体が反応しただけです。金にもならず、益にもならない行為でした。実際に、今に至るも倒れた方からはお礼の電話さえありません。「君子危うきに近よらず」とか「触らぬ神に祟りなし」がということわざが正しいのか考えさせられました。


 以前、新幹線の車中で医師を求める社内放送があったため、駆け付けたことがありました。医療機械もなく、できることは限られていましたが、何とか事なきを得ました。このときは学会出張のためでしたが、別の車両に乗っていた知り合い医師たちは、「お前、行くのか?」と冷ややかだったのを覚えています。


 わたくしが研修医の頃、米国へ留学経験がある先輩医師からこんな話を聞きました。ある医師が、眼の前で倒れた人に対して救急車が到着するまで心臓マッサージを続け救命しえました。しかし、その患者は心臓マッサージによって肋骨骨折を起こしていたために、その医師を訴えたそうです。心臓マッサージのやり方が不適切であったという理由からです。これが米国です。このようなことが続けば医師はまさに「君子危うきに近よらず」、「触らぬ神に祟りなし」と考えるでしょう。
 この国がそんな社会にならないことを願っています。