広島市議会議員(安芸区)

総理夫人にも教育係が必要?

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 桜の満開もまもなくです。週末には花見でにぎわうことでしょう。


 産経新聞に連載中の「貞明皇后の66年」に皇后の教育係のことがありました。のちの大正天皇である嘉仁皇太子との結婚の礼が終わり、事実上の新婚旅行である伊勢神宮神武天皇陵などへの行啓も済んで、皇太子と節子妃は元赤坂の仮東宮御所へ落ち着きました。
 ある日、節子妃が庭の芝生で女官と走り回っていた時、「そのお恰好は何ですか!」と一括する声が聞こえてきました。声の主は、古風な和装の老女官、節子妃の教育係である万里小路(までのこうじ)幸子です。元々おてんばなところがあった節子妃の教育については、宮中高官らは頭を痛めていました。宮中の厳格なしきたりを教え、同時に身の周りの世話をする若い女官たちも厳しく指導しなければなりません。選ばれたのが当時65歳の万里小路幸子でした。ほかにも女官8人、着替えや食事などの世話をする女嬬(にょじゅ)6人、雑務を担う雑仕(ぞうし)9人が皇太子妃付となり、20項目にわたる厳格な心得が定められていました。日曜日を除く午前9時〜11時30分と午後2〜3時は修学時間(国語、漢学、仏語、音楽)。外庭での運動は午後3時から1時間という窮屈なスケジュールでした。皇太子妃として従一位勲一等に叙せられ、皇后に次ぐ位にあった節子妃といえども、その一挙手一投足は幸子を中心の徹底した管理体制に置かれていたことがわかります。幸子から見た当時の節子妃は「御軽々」でした。


 いまマスコミをにぎわしている総理夫人にもこのような教育係が必要なんでしょうか?