広島市議会議員(安芸区)

林家正蔵という名跡の重さ

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。 

 落語家の林家正蔵という名跡をご存知でしょうか?昭和の爆笑王と呼ばれた初代林家三平の長男、こぶ平(本名:海老名泰孝)が2005年に9代目正蔵を継承しました。実は正蔵の継承は海老名家の悲願だったのです。こぶ平の祖父=初代三平の父である7代目正蔵は1949年に56歳の若さで亡くなりました。8代目を継ぐには初代三平はあまりに若すぎ、技量も伴っていませんでした。そこで8代目正蔵を継いだのが本来は継ぐべきでない傍流の林家木久扇の師匠でした。木久扇がヤギのような声でものまねして笑いを取っています。3代目三遊亭圓楽を名乗ったこともある噺家です(笑点メンバーの現在の圓楽は6代目です)。ワンポイントリリーフで名跡が貸し出されたのですが、三平の母と夫人の海老名香葉子さんの悲しみと屈辱は察するに余りあります。

 8代目は1981年に正蔵を海老名家に返上して、林家彦六を名乗り、その1年後に亡くなりました。彦六の正蔵と言われる所以です。


 とはいえ、すぐにこぶ平が9代目を継ぐには周囲の了解が得られませんでした。これも父、三平と同様でした。ここからこぶ平の苦難の道が始まります。こぶ平の姉、海老名泰葉の元夫、春風亭小朝によると、こぶ平正蔵襲名を目指して古典落語50をマスターしたそうです。涙ぐましい努力の結果、2005年に9代目を継承しました。そのときの香葉子さんの涙が印象的でした。襲名以来の正蔵の進歩ぶりには目を見張るものがあります。人情噺も十分にこなせる技量です。かつての頼りなさは消えています。大きく育つことでしょう。
 
 それにしても、笑点メンバーの噺家としての技量は目を覆いたくなるようなひどさです。まともに聞けるのは三遊亭圓楽くらいでしょう。大甘に評価しても三遊亭好楽まででしょう。司会の春風亭昇太は師匠が柳昇なので新作落語がほとんどであり、三遊亭小遊三林家たい平は、笑点のノリであまりにも噺を壊しすぎています。手っ取り早く笑いを取ろうとするあざとさが見えます。立川談志は生前、「自分の弟子には絶対に噺を壊させない」と語っていました。林家木久扇は漫談の域でしかありません。林家三平はまだまだ駆け出しです。意外なのは、桂歌丸です。歌丸は人情噺も十分にこなします。怪談噺の牡丹灯籠はCD5枚もの大作ですが、見事な出来栄えです。インターネットで歌丸の技量をお聞きください。驚かれると思います。