広島市議会議員(安芸区)

ブラジルへの日本人移民の影の部分

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。

 アントニオ猪木の病状が気になるところです。彼の現在の様子を見るにつけ、現役時代の活躍ぶりとの落差に寂しい思いがします。彼が中学生のころ、家族で移民としてブラジルへ渡ったことはよく知られています。ブラジルへの日本人の移民は1908年が最初です。この年に791人が渡っています。

 ブラジルにも労働力不足を補うために奴隷制が存在していました。サルバドルに宗主国であるポルトガル総督府が置かれたのは1549年のことです。これを機にアフリカから奴隷の輸入が始まりました。アメリカと同様に女性の奴隷の多くは農場主の子を産みました。これがムラートと呼ばれる混血系のルーツです。ブラジルの奴隷制は1888年まで約300年続きました。日本人移民の第一号は奴隷制が廃止された20年後の1908年です。つまり、日本人移民は奴隷制廃止に伴った労働力不足の穴埋めであり、歓迎されたわけではありません。これを考えると日本とブラジルの友好も何やら胡散臭くなってきますね。

 アメリカでは、奴隷制廃止後に農場主は奴隷同士に性交をさせて子供を産ませ、それを奴隷として働かせたり売却しました。家畜と同様です。その実態は映画「マンディンゴ」に描かれています。農場主を演じた主演のレオナルド・ディカプリオの狂気には寒気がしました。奴隷制は歴史上、最大の人権侵害だと思います。