広島市議会議員(安芸区)

皇室への敬意がない中国新聞社説

 い顔ふやそう。沖宗正明です。

 いよいよ平成最後の日となりました。それぞれに感慨があることでしょう。

 

 今日の中国新聞社説はあまりにもひどすぎました。皇室に対する敬意がまったくありません。「皇太子さま」、「悠仁さま」などと一応は「さま」を付けてはいます。しかし、それ以上の敬語がありません。一般的な「さん」と同じレベルの表現です。以下どの様に書かれているいくつか挙げます。

 

 国民の象徴としての天皇は・・・たゆまず考え抜き、その実践を積み重ねてきた年月だったに違いない。

 平和主義や国民主権・・・自問を続けてきたのだろう

 昭和の「負の遺産」である先の戦争とも正面から向き合ってきた

 皇太子時代には・・・黙とうをささげていることを明かした

 皇太子さまは・・・記者会見で「国民と常に寄り添い、共に喜び、共に悲しみたい」と語った。平成の象徴としての役割を踏襲していく考えを表明した

 国民も幅広く支持している天皇の姿である

 

 敬語を使わないというより、敬意のかけらもない表現です。あえてこのような書き方をしたとしか思えません。日ごろからの考えが露見したのでしょうが、皇室を貶める姿勢には怒りを覚えます。皆さんはどうお考えでしょうか?

嫌な?光景

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 まもなく平成の世が終わろうとしていますが、まったく実感がわきません。昭和が終わるときには天皇陛下の病状が明らかであり、次第に心の準備ができました。今回は生前の退位であるためでしょうか。

 

 

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 先日、墓参に行ったときに撮った写真です。柄杓の有様に違和感がありました。嫌な置き方だと思いませんか?

 

 最近、菩提寺だけでなく墓地を訪れた時には、墓石を見て回ります。見知らぬ故人ですが、刻まれた名前、没年などを見るとそれぞれの生き方が偲ばれるようで思わず手を合わせます。1週間前に訪れた墓地は中区の一等地に立地していました。普段は鍵が掛けられていますが、偶然に清掃中であったため、許可を得て入りました。古い墓地であるための立地でしょうが、元禄や天保などと刻まれた墓石を見た時、一気に江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われました。

こんなにも肚の座った閣僚がいた=後藤田正晴

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 日中は汗ばむような気候です。入梅前のさわやかな期間を楽しみましょう。

 

 1980年のイラン・イラク戦争のとき、米国は中曽根総理にペルシャ湾で機雷を除去するための掃海艇派遣を要請しました。このとき体を張って阻止したのが後藤田官房長官です。交戦状態にある地域への派遣は自衛ではない上に、戦争に巻き込まれる危険性があるとの主張でした。総理が「閣議にかける」といったとき、後藤田氏は署名を拒否する考えを示しました。これで総理は派遣を断念しました(1991年の湾岸戦争後には派遣されました)。当時はこれほどまで肚の座った閣僚がいました。はたして今の閣僚にそれほどの人物がいるのでしょうか。総理の気持ちを忖度ばかりしている場合じゃないでしょうに。

 

こんなに良き時代もあった日韓関係

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 

 昨日深夜、統一地方選の後半戦の当選者が決まりました。2週間前、自分の開票状況に一喜一憂したことが遠い過去のようです。後半戦でも投票率の低さは覆うべくもありません。それぞれの自治体共通の悩みです。とくに豪雨災害に見舞われた坂町では、前回が無投票であったにしても、前々回の64.31%から10.19%もの低下です。

 

 先日、中曽根康弘元総理と、その政権の官房長官を務めた後藤田正晴両氏の回想録を読み返しました。見事な連携ぶりには驚くばかりです。このコンビだからこそうまく処理できたと思わせる危機が数多くありました。日米関係と日韓関係の改善、武器技術供与問題、三公社の民営化、ソ連による大韓航空機撃墜事件、イライ・イラク戦争での掃海艇派遣、三原山噴火時の全島民避難etc.よくもこれだけの大問題を処理できたものです。両者のコンビは戦後最強であったと思います。当時の日本は国際的に尊敬を集めるに足る国家でした。

 

 中曽根氏の回想で、そんなこともあったのかと信じられない感想を持ったことを挙げます。

 それまでの総理はまず米国を訪れたのちに訪韓していました。中曽根氏が総理に就任して最初に訪問したのは韓国でした。中曽根氏は、総理就任前から最初に訪れるべきは韓国であると考えて、韓国語を勉強しています(サミットを念頭に置いてフランス語も勉強しています)。韓国国会での演説の最初の三分の一と最後の三分の一を韓国語で行いました。これが韓国国民の琴線に触れました。中には涙を流しながら聞いた方もありました。当時の日韓関係は最悪で外交断絶に近い状態でした。中曽根氏はあらかじめ全斗煥大統領に電話し、関係改善への協力を要請しました。金浦空港で飛行機を降りると、日の丸が掲げられ、君が代が吹奏されました。しかし、総理一行の車列を迎える人の数は少なかったようです。ところが総理の演説もあって、日程を終えて空港へ向かうときには大勢の人が道路に出て、手を振ってくれました。

 

 現在の日韓関係を考えると、はるか昔のおとぎ話のようです。いまの大統領には期待するほうが無理でしょう。

  次回は中曽根政権での肚の座った閣僚について書きます。

 

安芸郡坂町の合同演説会

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 昨日は統一地方戦の後半戦最終日でした。坂町では合同の演説会が開かれることを聞き、早速駆けつけました。

 演説会開始後約5分に着きましたが、会場の坂町民センターはすでに満席で、数十人が立ち見でした。坂町では、昨年の7月豪雨災害を受けて、今回は各陣営が選挙カーでの街宣活動を自粛したために、合同演説会を毎日1回開くことになりました。各立候補者は持ち時間3分でアピールします。それぞれに政策を訴えるのは当然ですが、パフォーマンスや態度、演説でのメリハリなどに個性が現れていました。わたくしも立ち見でしたが、疲れを感じることなく、充実した時間でした。聴衆も各候補者に対して拍手で応じ、野次もなくしっかり聞いていました。

 

 2週間前には我々が選挙戦を戦いましたが、有権者が各候補者を比較する機会がありませんでした。かつて、合同の立会演説会が開かれていたことがありましたが、野次がひどかったり、自分が応援する候補者の演説が終わったら立ち去るなどの弊害が出たために行われなくなったことを聞きました。もうそんな時代ではないでしょう。坂町では、誰一人途中で退席することもなく、聴衆のマナーも素晴らしいものでした。候補者が一堂に会して有権者の厳しい眼に晒される場が必要と感じました。それは行政が主導しなくても、民間の有志が主催してもいいでしょう。政策ではなく、縁故や飲食で票を集める候補者は嫌がるでしょうが・・・

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