広島市議会議員(安芸区)

復興の記憶 カープ物語

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。


 8月21日の日曜日、広島アニメフェスティバルを鑑賞した後、西区商工センターの泉美術館で開催中の「復興の記憶 カープ物語」に足を運びました。とくにカープ創成期の写真は初めて目にする珍しいものが数多くありました。日本で初めての市民球団としてファンへのお披露目のときには資金難のため、約30名の選手のうち3名はユニフォームを与えられず背広姿で写っています。中区の旧市民球場ができるまでは県立球場で試合が行われました。しばしば入場者が多すぎるため、グラウンド内にロープを張って、観客席としている写真もありました。


 ボランティアによる「カープ初代監督 石本秀一物語」の紙芝居は観客には一体感があり、盛り上がりました。
 初年度は40勝、140敗くらいの惨憺たる成績で、創立2年目には大洋球団への身売り、合併の寸前まで進みました。執行部は石本秀一監督を旅館に呼び出し、吸収・合併の結論を伝えました。しかし、旅館の外にはカープの存続を望む多くのファンが詰めかけ、反対を唱えました。それを受けて方針が撤回され、存続が決まりました。カープ消滅の最大危機でした。 
 紙芝居は、その後の樽募金や市民球場建設、50年の初優勝へと話は進みました。初優勝が決まった瞬間、77歳になっていた石本秀一氏は東広島市の自宅で滂沱の涙を流したことも描かれていました。



 今年は25年ぶりの優勝が間近に迫っています。先日読んだ週刊誌での対談で安仁屋、達川、北別府の三氏は異口同音に、チームとしての実力は今のカープより25年前の方がはるかに強かったと述べています。わたくしが聞いたあるOBの話でも、今のカープのレギュラーには当時なら一軍に入れない選手もいるとのことです。主砲の山本浩二さんは打率3割、ホームラン40本、打点100を超えていました。残念ながら今のチームにはそれほどの選手はいません。しかし、総合力が優れているために現在の成績につながるのでしょう。いずれにしても、初優勝のときの感動には及ばないにしても広島は盛り上がるでしょう。カープ物語は9月4日まで開催中です。一度足をお運びください。面白いですよ。