広島市議会議員(安芸区)

ベトナムのグェン王朝

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。


 今朝の中国新聞に、岩手県ベトナムから女子医学生を招き、医師免許取得を支援する医師養成策に乗り出したことが出ていました。彼女こそ、5月25日にこのブログで書いたホーチミン市の国立進学校、「チャン・ダイ・ニヤット」の学生です。早ければ今秋にも来日の予定です。この政策には異論もあるようですが、岩手県医師不足解消の一助になり、ベトナムとの友好が深まれば幸いです。


 今日は、ベトナム最期の王朝、グェン王朝について書きます。グェン王朝は、1802年から1945年まで存在したベトナムの王朝です。1887年から1945年3月10日まではフランス領インドシナとしてフランスの支配下にありました。13代の王が君臨しましたが、フランスにすり寄った王は国民に眼を向けず浪費に走ったようです。逆に、フランスに敵愾心を持った王は国民に向いて政治を行い、質素倹約に努めて人気があったようです。数人の王が若くして亡くなっていますが、政争による暗殺でしょう。現在、王朝の末裔は市井で不自由なく暮らしているとか。


 王朝が滅びることは国にとって取り返すことのできないことです。ベトナムは古くは漢字の文化を持っていましたが、フランスがこれを破壊しました。ベトナム最古の大学である「文廟」には優秀な卒業生の名前が漢字で刻まれた石碑が建っています。いまでは漢字を読めるベトナム人はごく少数になっています。
 エチオピアハイレ・セラシエ皇帝、イランのパーレビ皇帝が革命で廃されたあと、世界でただひとり「エンペラー」の称号を持つ日本の天皇陛下が世界から尊敬されるのは当然でしょう。


王宮は周囲12kmの城壁で囲まれていました。いまはベトナムの国旗が翻っています。宮廷の内側から城壁を見た写真。


宮廷内に入る門


国王が正面に立ち、科挙に合格したエリートの文官と武官が整列しました。


中国の故宮に匹敵するほどの広さです。現在、韓国のサムスン電子が中心になって復元を進めています。もちろん日本も参加しています。完全に復元されれば世界でも有数の観光地になるでしょう。


 
 マスコミなどで議員の海外視察は批判の対象になっていますが、わたくしは今回の視察でベトナムの文化や医療、教育、経済の実相の一端に触れ、この国の素晴らしさを認識しました。経済成長とともに日本が失ったものをベトナムは持っていました。とかく中国や南北朝鮮との摩擦が大きく取り上げられていますが、実際には親日的な国の方が多いことも身を以て学びました。あらためてアジアとの連携の必要性を感じました。
 海外視察が批判の対象となっている中で、あえてブログでその報告を書きました。視察の成果を市政に反映させるのが、これからのわたくしの義務だと思っています。ご意見をお寄せください。