広島市議会議員(安芸区)

アメリカ本土を爆撃した男(3)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。
 戦後、藤田は海軍将校としてのプライドを投げ捨て、金物の行商から身を起こし、藤田金属を経営し、茨木県内で有数の会社に育て上げます。しかし、息子に会社を譲って、わずか2年半で約15億円の負債を抱えて倒産します。
 69歳の藤田は、ここから恥を忍んで元の部下が経営する会社に就職し、その後工場長にまで昇進します。その間の苦労は並大抵ではありませんでした。
 昭和37年に、爆撃したオレゴン州ブルッキングス市長から外務省を通じて招待状が届きます。単機でアメリカ本土を爆撃した勇気ある英雄的な行動を称え、日米友好親善を図りたいとの趣旨です。藤田自身も、戦争とはいえ、アメリカ本土を爆撃した敵側の人間を招待することの真意を測りかねます。
 そんな折、ときの大平正芳官房長官が藤田に面会を求めます。まだ対日感情が悪い時代に、政府としては現地商社を通じて陰ながら支援はするが、正式な関与はできず、渡米して万一報復を受けても日本政府はあなたの身を守ることはできないといわれます。
 しかし、藤田は帝国軍人として、万一の場合は彼の地で腹を切るつもりで日本刀を持って乗り込みます。その時のスピーチはアメリカン人の心を打つ素晴らしいものでした。続きは次回のお楽しみ。