広島市議会議員(安芸区)

アメリカ本土を爆撃した男(最終章)

 いい顔ふやそう。沖宗正明です。

 平成2年5月24日、藤田は三たびブルッキングスへ向けて出発します。このとき持参した鯉のぼりは市の中心部にある電力会社の大きな鉄柱に翻りました。市民はジャパニーズ・カープ喝采しました。
 翌朝、藤田は市役所を訪ねます。市長は、藤田の再訪を機に、条例で5月25日を「藤田信雄デー」と定めたことを伝えます。
 

 (藤田が寄贈した軍刀を持つブルッキングス市の三人娘)

 藤田は平成4年9月にもブルッキングス市を訪れます。爆弾を投下してちょうど50年のことです。このとき藤田は、爆弾を落とした森に行きます。そこにはこんな表示板がありました。「日本軍爆弾落下地点。第二次世界大戦中、アメリカ大陸に落とされた唯一の爆弾(1942年9月9日)」
 

 藤田はここで、森林警備員が用意してくれたレッドウッドの苗木を表示板の傍に植えます。「50年かかってやっとできました。この1本の苗木で、私が米本土に及ぼした被害の償いが・・・。これでかつての敵地に第2の故郷を持つことができました。」

 平成9年9月29日、藤田は息を引き取ります。86歳の誕生日まで2週間のことです。死の3時間後、ブルッキングス市から名誉市民章が届きます。
「布告 オレゴン州ブルキングス市議会
 藤田信雄氏は長年の及ぶ我が市の友人であるとともに我々の誇りでもある。氏は我が市のいわば親善大使として尽力され、我が市に寛大なる贈り物と精神の慈しみを与えた。
 氏は二つの文化を分かち合うことにより平和の絆を創り上げ、永遠に失われることのない功績を残した。
 よってブルッキングス市議会は氏を名誉市民として讃え、永久に顕彰することを決議した。
 1997年9月22日 ブルッキングス市長 ナンシー・ブレンドリンガー」

 藤田の一周忌が爆弾が投下された場所で営まれました。そこに遺骨の一部が埋められています。
 
 これほどまで、武士道精神、帝国軍人精神を具現した日本人がいたことを知らなかったことを恥ずかしく思います。