いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
1973年の今日、1月27日フランスのパリで「ベトナム平和協定」が正式に調印されました。この戦争でアメリカの全盛期は終わり、その後遺症に今なお苦しんでいます。わたくしはベトナムの自然と国民性に惹かれてすでに4回訪れました。フランスの植民地であったため、モダンで洋風の建物が残っています。フランスパンは大変に美味しく、街頭で売られているフランスパンを使ったサンドウィッチは人懐っこい売り子の表情と相まって心まで満たしてくれます。べトコンゲリラのトンネルや罠を見学しましたが、国を愛する人民の力の凄さが伝わってきます。旧大統領官邸は今でも残されています。裏庭には大統領一族が亡命のために官邸から飛び立ったときに使ったヘリコプターも展示されています。また、ベトナム料理は他の東南アジア諸国のそれに比べて匂いが強くなく、違和感なく食べられました。米の粉から作られる「フォー」は、うどんのような味で何度もお代わりしたくなります。米の粉で作った皮で巻く生春巻きも絶品です。バイン・セオは広島風お好み焼きとそっくりで思わず、「おたふくソース下さい」といいたくなります。体長40センチのシャコのから揚げに「にんにく」をまぶした料理はビールの友に最高でした。
旧大統領官邸から市内を展望
大統領が脱出に使ったヘリコプターが官邸の裏庭に展示されています。
官邸内の閣議室
ホーチミン廟。ホーチミン元大統領の遺体が安置されています。
名前は忘れましたが、古代遺跡が荒れたままになっていました。
同上
同上
そんな荒れた遺跡に大木がしっかりと根を張っていました。
ミーソン遺跡。1000年以上も前の都です。そのレンガ積みの技術は現在でも再現できないそうです。ベトナム戦争のとき、べトコンがこの遺跡に立てこもったため、米軍に爆撃されました。遺跡内のあちこちに爆撃による直径数メートルの穴があります。戦争とは歴史の破壊です。
古都フエの古い橋。日本人が造ったので「日本橋」と呼ばれています。
ティエン・ムー寺。後方の壁の写真はゴ・ジン・ジェム大統領時代の圧政に抗議して焼身自殺した僧侶の現場写真です。赤く見えるのがその炎で、炎の左に見える青い車の実物が展示されていました。この事件のあと、大統領婦人が「僧侶のバーベキューね」と語ったことはよく知られています。
ベトナム最古の大学、文廟(むんびょう)。中にはその頃の卒業生の名前が刻まれた石碑がありました。すべて漢字で書かれています。ベトナムは漢字文化圏だったのです。今では学者以外で漢字を読める人はほとんどいなくなったそうです。植民地支配による文化の破壊がここでも見られます。