広島市議会議員(安芸区)

オスカー・デ・ラ・ホ−ヤ引退と世界チャンピオンの軽さ

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 プロボクシングで6階級を制覇した名選手、オスカー・デ・ラ・ホ−ヤの引退が報じられていました。デ・ラ・ホ−ヤは1992年のバルセロナオリンピックで金メダルを獲得して「鳴り物入り」でプロデビューしました。当時から El nino de oro =英語では The Golden boy と呼ばれ将来の世界チャンピオンと期待されていました。その期待にたがわぬファイトで世界中を湧かせてきました。デビューはスーパーフェザー級でしたが、その後ライト級・スーパーライト級・ウエルター級・スーパーウエルター級・そしてミドル級の6階級の世界チャンピオンになりました。映画スターを思わせる端正なマスクと勇敢な戦いぶり、素晴らしいテクニックを兼ね備えた逸材でした。今後はプロモーターとしてボクシング界に貢献するようです。
 さて、オスカー・デ・ラ・ホ−ヤは6階級を制覇しましたが、日本人の最高は2階級制覇です。しかし、以前の世界チャンピオンのベルトは現在とは比較にならないほど重いものでした。ボクシングには大きく分けて重量級・中量級・軽量級がありますが、日本人が多く所属する軽量級には軽いほうからミニマム級ライトフライ級・フライ級・スーパーフライ級・バンタム級スーパーバンタム級フェザー級スーパーフェザー級の8階級があります。さらにそれぞれの階級で、WBA・WBC・IBF・WBOという主要4団体がチャンピオンを認定しています(ただし、日本ボクシング連盟はIBFとWBOには加盟していません)。統一チャンピオンや複数の団体から認定されているチャンピオンもいますので32人のチャンピオンが存在するわけではありませんが、8階級の軽量級だけでも32本のベルトがあることになります。日本人として初めて世界チャンピオンになったのはフライ級の白井義雄さんで、2番目はリングネーム、ファイティング原田の原田政彦さんです。当時はWBA・WBC・IBF・WBOなどの団体はなく、世界チャンピオンは1階級にただ一人でした。しかも、スーパー級がなかったため、軽量級はフライ級・バンタム級フェザー級の3階級だけでした。つまり、チャンピオンベルトの重さはかつての約3分の1になっているのです。亀田興毅内藤大助程度の実力ではとても世界チャンピオンにはなれなかったでしょう。しかも、当時日本円は1ドル360円の時代です。高度成長以前の日本人にとってチャンピオンに渡すファイトマネーは現在とは比較になりません。実力があっても世界に挑戦すらできなかった選手も多くいました。こうしたなかで原田政彦さんはフライ級とバンタム級のチャンピオンになりました。黄金のバンタムと呼ばれたチャンピオン、エデル・ジョフレを2度下した試合は共に素晴らしいものでした。さらにフェザー級にも挑戦しましたが、あと一歩及びませんでした。当時の世界チャンピオン、オーストラリアのジョージ・ファーメションに2回のダウンを与えたにも関わらず、疑惑の引き分け判定で涙を飲みました。このような実績が高く評価されて原田政彦さんは日本人初の世界ボクシング殿堂入りの栄誉が与えられています。ちなみに、昨年日本人で2番目の世界殿堂入りしたのはボクシング評論家でプロモーターのジョー・小泉さんです。駄洒落を連発するジョー・小泉さんはWOWWOWで月曜日午後8時からのワウワウエキサイトマッチでご覧になれます。世界のボクシングのレベルの高さに驚くことと思います。ぜひ一度ご覧下さい。