広島市議会議員(安芸区)

上坂冬子さんを悼む

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 朝の雨も上がってさわやかな日になりました。
 4月14日、作家の上坂冬子さんが亡くなりました。享年78歳でした。上坂さんは北方領土国後島で生まれ、一貫してロシアの不法占拠を非難してきました。根室の漁船が拿捕されたり、ロシアの警備艇に襲撃されたときには外務省の弱腰外交を厳しく追及しました。生涯独身を通し、まさに「昭和を見つめた生涯」でした。彼女の、本質を突いた歯に衣着せぬ発言はわたくしにとって良き指標となりました。その鋭い舌鋒は「鉄の女」と呼ばれたイギリスの元首相、マーガレット・サッチャーを髣髴とさせます。平成20年4月18日の産経新聞に掲載された「『長寿』?いいかげんにせい」というエッセイは胸がすくような明快さでした。その一部をご紹介します。


 最近は入学や入社試験などの面接で、父親の職業を聞いてはいけないのだそうだ。兄弟の数をはじめ、家庭環境などについても必要以上に立ち入ってはいけないことになっていると、真顔で教えてくれた人がいる。そんなバカな。人間が育った家庭環境や背景を確かめずして実像など分かるものではない。普通の暮らしをしているものにとって「聞いてはならぬこと」など限られている。一億総犯罪者じゃあるまいし入社にあたって親の職業を聞いてはナラヌなどとは、針ほどの事実を丸太ん棒ほどに解釈した誇大妄想的法の適用だ。さきごろ、「聾学校」という呼び名を変えようとする動きがあったという。これに対して全日本聾唖連盟から呼び名を変えないでほしいと異議が出されたと知って、私は久しぶりに痛快な気がした。「私たち聾唖者は『聾』であることに誇りを持ち、『聾学校』は100年の歴史を重ねてきた。なぜ県教委は『聴覚特別支援学校』という名称が適切と判断したのかわからない」という投書もあったという。差別語を「聾者」と言い改め、それをまた「聴覚障害者」と言うようにし、さらに「耳が不自由な方」と言い換えたりしてきたわけだが、呼び名に罪があるわけではあるまい。耳の聞こえない方に向かって差別語を使ったとすれば、問題はその下劣な品性にある。バカな世の中になったものだ。後期高齢者という呼び方は悪いから長寿高齢者と言い換えようなど、いいかげんにせい。後期と言おうが末期と言われようが、やがてみんな公平に死んでゆく。かつて日本では修身の教科書で、投げたマリが他家に入ったらお詫びに行きましょうと絵つきで教えてあった。法の解釈と適用と運用を取り違えないためには、善悪をこんな初歩的なけじめからキッチリ教えて出直さねばなるまい。古いも新しいもあるものか。


 いかがでしょうか。まさに一刀両断、「快刀乱麻を断つ」とはこんなときに使う言葉だと実感しました。彼女は古き良き日本女性でした。彼女を失ったことは、日本人にとって大きな損失です。改めてご冥福をお祈り申し上げます。