いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
寒い一日でした。わたくしは今日から始動です。年末年始の休暇でゆっくりリフレッシュできました。
韓国ソウルでは今朝から大雪が降り、20センチを超える積雪で交通がマヒしているようです。わたくしは暮れの27日から31日までソウルに滞在しました。27日には大雪でタクシーが捕まらずロッテホテルの玄関で震えました。30日には氷点下18度まで気温が下がり、温暖な瀬戸内では味わえない貴重な経験をしました。
さて、30日に板門店(パン・ムン・ジョン)を訪れました。途中、2度も軍隊によるパスポートのチェックがありました。軍事境界線に近づくにつれて緊張が高まってゆくのを肌で感じました。道路は真っ直ぐ走れないように車止めが設置してあり、さらに何ケ所かコンクリート製のゲートがありました。このゲートの中には大量の爆薬が置かれており、有事のときには爆破して道路を封鎖するそうです。
現在は軍事境界線から南北2キロを非武装地帯としています。この非武装地帯には今なお、大量の地雷が埋められており、歩くことはできません。
われわれを案内してくれた韓国軍兵士の眼は輝き、その凛々しい姿は日本人が忘れつつあるものを思い出させるに充分でした。韓国での兵役義務は男は20ヶ月で、女子には兵役義務はありません。ちなみに北朝鮮では男10年、女7年もの長い兵役義務があるそうです。案内したバスガイドは相当に北朝鮮に対する憎しみを持っていました。
軍事境界線を見下ろす展望台では、指を指さないことと、走らないことを厳しく指示されました。実際に軍事境界線を目の当たりにしたときには、最前線の軍事緊張がひしひしと伝わってきました。
また、第3トンネルも見学しました。これは北朝鮮側から韓国側へ掘られたものと推測されています。北朝鮮は戦前に日本が掘った炭鉱だと主張しているようです。しかし、地下水は北朝鮮側へ流れるように、わずかな傾斜がつけられています。硬い岩盤の花崗岩を掘るのは相当の時間をかけたことでしょう。爆破のためのダイナマイトの穴が残っていました。まだ発見されていなトンネルも相当数に上ると考えられています。
朝鮮戦争は未だ終わっていません。
ただ、停戦協定が結ばれているだけです。
展望台から北朝鮮の軍事施設を臨む。手前は韓国の施設。これまで味わったことのない緊張感でした。
軍事境界線から約10キロ南の橋。停戦のとき捕虜の交換を行いました。急いで作ったため木製です。
朝鮮戦争のときに使われた機関車。日本の川粼重工製です。見える穴は被弾の跡です。