広島市議会議員(安芸区)

消え去った「○○商店」

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。
 年間を通じて最も過ごしやすい季節です。湿度や気温などが快適なレベルで、健康には最適と言えます。これを別の方向から見れば、われわれ医療関係者にとっては、患者が減り頭の痛い時期とも言えます。とはいえ、健康を売ることを生業とする者として喜ぶべきことでしょう。


 わたくしが子供の頃には近所に多くの「○○商店」や「××商店」という店がありました。わたくしにとっては商店とは多くの品を揃えた場所でした。酒や米、時計、タバコなどを売る店は商店ではありません。それは「酒店」であり、「米穀店」であり、「時計店」であり、「タバコ屋」です。わたくしにとっての商店とは、パンや駄菓子もあり、野菜もあり、豆腐もあり、中にはほんの申し訳程度に文具も揃えた場所でした。
 ご主人(というよりオヤジ)がいない場合には奥さんや、ときには子供まで店番をしていました。駄菓子屋と優しいお婆さんはセットであった記憶があります。店番がいないこともしばしばでしたが、呼べば出てくれました。店番がいなくても黙って商品を持ち帰ることなどあり得ませんでした。呼びかけ方も「頂戴」でした。発音を正確に書くと、「チョウダイ」ではなく、「チョーダーイ」でした。大学の同級生に東京から来た男がいました。彼が商店に入ったとき、「下さーい」と呼びかけるのを聞いて、関東との違いを楽しく新鮮な感覚で聞いたことを思い出します。商品を包むビニール袋もなく、パンや豆腐はむき出しで売られていて、買ったときは新聞紙で包まれました。醤油は持参したビンに入れられました。
 

 そんな商店がいつの間にか姿を消してしまいました。スーパーやコンビニにとって代わられ、というより駆逐されました。そこには店の家族との触れ合いや雑談もなく、マニュアル通りの丁寧で無機質な対応が待っています。
 田舎に行けば今でもノスタルジーを感じさせる店が生き残っています。知らない街で車から商店を見かけると、懐かしさからつい覗き込みラムネやキャラメルを買います。
 商店は日本固有の文化だったのでしょう。そんな文化が消え去ろうとしていることに寂しさを感じています。



 最後にわたくしが愛してやまない(?)作家、浅田次郎の言葉をご紹介します。あの風貌からはおよそ想像できない繊細な文章が好きです。


アメリカの文化はおよそ遅かれ早かれ日本にやってくるが、日本人的な理性で選別する勇気を持たなければ、やがて国家全体がシャッター街となるか、味気のない画一的な風景の中で、われわれは囚人のように暮さねばならなくなる。
 スーパーマーケットの虜、という言い方は比喩ではあるまい。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは便利という名の不便、調法と錯誤した不調法の檻の中の、虜囚になってしまった。」