広島市議会議員(安芸区)

定例会最終日に2回討論を行いました。

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。
 桜がもうすぐ満開になりそうです。週末は花見で賑わうことでしょう。
 昨日は2月定例会最終日でした。毎年、2月定例会は新年度の予算特別委員会が開かれるため、最も長い会期となります。今年は40日間でした。
 昨日は新年度関係の議案の議決が行われました。議論の対象となり、賛否が分かれたのは次の3点です。
1.現球場跡利用
2.広島市職員の勤務時間短縮
3.政務調査費の減額
 まず、1.現球場跡利用については、具体的検討に要する予算約1900万円を削除する修正案が提出されました。地元商店街などとの協議が充分でなく、広場を作るだけでは集客が困難であるとの理由でした。わたくしはこれまで4年間にわたって市民の意見を聞いた上で、示したけいかくであり、協議が不十分とは思いません。ニューヨークやロンドンのように都心に公園があってもよいと考えています。わたくしは修正案に反対(つまり具体的検討の予算を削除することに反対)の立場で原案に賛成しました。結局、原案の賛成は少数で修正案が可決されました。
 2.広島市職員の勤務時間短縮については、職員の勤務時間を1日8時間から7時間45分に、週40時間を38時間45分に短縮する条例案です。これまで5年間に職員の定数は12、218人から11、790人に削減されています。この間に行政としての仕事の量は減ってはいませんので、残った職員には過重な負担がかかっています。また、職員の給与は昨年4月に遡って平均0.58%下げられています。わたくしは職員の健康をまもり、士気とモラルを低下させないために、この条例案に賛成しましたが、賛成少数で否決され、職員の勤務時間の短縮はできませんでした。
 3.政務調査費の減額については、月額34万円から30万円に減額する案です。現在広島市の議員の法定定数は64ですが、55に削減しています。それだけに議員一人当たりの守備範囲は広がっています。議員はしっかり勉強し、それを市政に反映させなければなりません。議員の報酬や政務調査費を削減すればいいのなら、政治はホリエモンのような金持ちの道楽になってしまいます。志はあっても、金のない若者は政治に関われなくなります。わたくしは政務調査費の削減案に反対しましたが、賛成少数で削減案は成立しました。
2.広島市職員の勤務時間短縮と、3.政務調査費の減額についてわたくしは討論に登壇しました。以下はその論旨です。少し長いのですが、参考までに掲載します。わたくしの真意をお読みください。


 第39号議案、「職員の勤務時間、休暇等に関する条例の一部を改正する条例」に賛成の討論を行います。
この条例は職員の勤務時間を見直し、1日8時間から7時間45分に、週40時間を  38時間45分に改正するものです。昨日まで行われた予算特別委員会でも指摘されたように、公務員には日本国憲法第28条に保障された労働3権、すなわち、団結権、団体交渉権、争議権が制約されています。その代償として、民間や他の公務員とほぼ同等の勤務条件を保つために人事院ないし、人事委員会の勧告があります。本市人事委員会では過去3年間に亘って調査した結果、昨年9月に先ほど述べた勤務時間に改正することが妥当であると勧告しました。
細かい議論の重複は避けて以下、わたくしの意見を述べます。
民間企業が不況で苦しんでいる中で、本市職員の勤務時間を短縮することは市民感情として許されないとの指摘がありました。たしかに、提出された時期は悪いかも知れません。しかし、昨年9月に本市人事委員会から出された勧告は3年間を遡って調査した結果の 昨年4月時点での実態によったものです。入念な調査と分析をすれば勧告までに相当のタイムラグが生じるのは当然です。タイムラグによる不具合は次回に修正が加えられ、それによって時間の経過とともに平衡が保たれることになります。民間が好景気に沸くときには職員の待遇改善は遅らされ、民間が不景気のときにはすぐさま処遇を下げられるというのは明らかに公平性を欠いています。既に職員の給与は昨年4月に遡って平均0.58%下げられています。それにも関わらず待遇の改善が図られないとしたら、職員の士気は  大いに低下する可能性があります。
平成16年から今年4月までの5年間に職員定数は12,218人から11,790人に削減されることになります。絶対数では428人、率にして3.5%もの削減です。この間に本市行政の仕事量は増えこそすれ、決して減ることはありません。当然のことながら、職員が削減された分、残った職員には過重な負担がのしかかります。このことが、精神的、肉体的な健康を害する一因になっていることも否定できない事実でしょう。常々、議会は理事者に対して、職員のメンタルヘルスケア、フィジカルヘルスケアを怠りなきよう要望や指示をしてきました。今回の勤務時間を短縮する条例を否決することは、これまでの議会側の行動と矛盾することになります。本会議や委員会が正午前に休憩に入った場合でも、午後1時に再開されます。また、午前中の審議が正午を過ぎたときには、その分、午後の開会が遅らされます。議会だけが充分な休養を取りながら、職員にはリフレッシュするに充分な時間を与えないのは、議会側の驕りとの謗りを受けることになるでしょう。
現在の医療崩壊厚生労働省の失政によって引き起こされました。その原因のひとつにマンパワーの不足があります。救急患者のたらい回しはその典型です。患者も、医療サイドも、行政のどれも悪くありません。ただ人手が足りないためです。もはや、かつてのように救急車に乗れば安心できた時代は過ぎ去りました。同様にいま、本市の行政機関にマンパワー不足によるサービス低下が現れているではありませんか。
職員の定数を削減し、給与を下げた上に、休息時間を増やすことを認めないことは職員の健康を害したり、士気を低下させることにつながることは充分に考えられます。
民間の労働者は企業から給与を受け取ります。それに対して、本市職員には本市の市民が納めた税金から給与が支払われます。しかし、それは自らの労働に対する当然の対価であって、その出所が税金であろうが、なんら卑屈になる必要はありません。「公務員は自分たちの税金で食わせてやっている。」とか、「誰のおかげで飯が食えるのか。」などと暴言を吐く不心得な輩もいます。モンスターペイシャントとかモンスターピアレントを育てているのは公共機関という存在そのものであることがほとんどです。民間企業なら、「お客様、そういう理屈はここでは通用しません。」というべきところでも、公務員であるが故に口にできません。わたくし自身も経験がありますが、民間の医療機関なら診療を拒否できるような患者も、公立病院というだけで受け入れなければならないケースも多々あります。  一例を挙げれば、前回のお産の費用を支払わず、重なる督促にも従わずにいながら、またぞろ平気な顔で市民病院を受診する妊婦さえいます。公務員は「公僕」であると言われます。「公の僕」です。しかし、それは善良な市民全体に奉仕するという意味であり、公務員は決して市民の奴隷でも使用人でもありません。高い能力とプライドを持って市民に奉仕し、もって住みよい街づくりを目指すのが公僕の役割です。そして、それに協力するのも議会の役割のひとつです。いたずらに性善説に立つ必要はありませんが、議会は職員を性悪説で捕らえている面が多いのではないでしょうか。どこの世界にもできの悪い者、やる気のない者は存在します。不祥事が起こる本市においても同様でしょう。しかし、それをすべての職員に帰納してはなりません。特殊から普遍を導いてはならないのです。
 先の予算特別委員会で平木委員によって消防職員2名の殉職が取り上げられたときの消防局長の答弁に対して委員席から拍手が沸きました。それは本市消防職員の士気の高さを称えるものであり、殺伐とした雰囲気の特別委員会での一服の清涼剤でした。不幸にも  殉職した職員は後世まで名が残り、追悼されています。しかし、不幸にも志半ばで在職中に亡くなったすべての職員にそれだけの名誉が与えられているでしょうか。そして、現在のような過重な勤務では健康を害する予備軍が少なくないことは容易に予想されます。今回の勤務時間を短縮する条例を否決することは、職員を守ることにつながらない惧れが充分にあります。
本市職員の精神的、肉体的な健康を守り、士気とモラルを低下させないために、この条例案に賛成いたします。


 議員提出第10号議案「広島市議会の会派に対する政務調査費の交付に関する条例の一部改正について」に対して反対の討論を行います。
 政務調査費は昭和48年、全国都道府県議会議長会が当時の町村金吾自治大臣に「議員活動費」の支給を要望したことを受けて「調査研究費」として支給が始まりました。会派に対して支給されることになりましたが、元々は議員報酬が低いための発案であり、いずれは議員個人に対して支給する方向でまとまっていたようです。しかし、そのような改正はなされず、現在に至っています。
戦前の地方議会は通常会と呼ばれる議会が年に1回、2週間程度の会期で開かれるだけであり、議員は名誉職であって無報酬が当然と考えられていました。
 そのような飾り物の議会を改革したのがGHQ総司令官、ダグラス・マッカーサーです。改革のひとつは日本の地方議会に強力な調査権を持つ100条委員会を設置させたことです。100条委員会によって、我が国の地方議会の執行機関に対する地位は飛躍的に向上しました。アメリカ合衆国の議会に調査権が付与されたのは合衆国創成期のことです。   ワシントン郊外で政府軍がインディアンによって全滅させられたことから、インディアンに対する武器供与ルートを調査するために調査権が議会に付与されたことに始まります。 
調査権は決して自然発生的に議会に与えられたものではありません。したがって、われわれ議会人は調査権をおろそかにしてはなりません。言うまでもなく調査権は議会に与えられたもので、議員個人に与えられたものではありませんが、議会の一員として議員はその調査権を担っています。しかし、現実は議会の調査能力は充分とはいえません。その原因のひとつには、予算や職員定数の削減でやむをえない面もありますが、議会事務局職員が充実していないことが挙げられます。議員よりも事務局職員の数が多い自治体は全国でただひとつ東京都だけです。その意味で、平成18年度に事務局職員を39名からわずか1名ではあっても増員を決断された藤田議長には敬意を表します。議会と議員は事務局職員と協同して調査能力を身につけなくてはなりません。そして、議員立法を目指さなくてはなりません。そうでなくては、立法府とは有名無実のものになってしまいます。
アメリカ合衆国では法案はすべて議員提出によるものであり、大統領には議案提出権も議会出席権もありません。当然のことながら、大統領は予算の提出権も持っていません。予算教書と呼ばれる政府の包括的な予算案を提出しますが、連邦議会が予算法案の審議をする際の参考資料に過ぎず、それ自体が連邦議会の議決の対象にもならず、議会を拘束することもありません。マッカーサーは当初、アメリカと同様に地方の首長に議案提出権も議会出席権も認めない方針でした。しかし、先に述べたように名誉職の議員が年に1回短期間の通常会を開くような戦前の議会には、能力がないために例外的に議会側の要請によって首長が議会に出席することになった経緯があります。すべての法案が議員立法によるアメリカ合衆国連邦議会は委員会中心主義であり、法案ごとに特別委員会が作られ、法案の審議が終われば特別委員会は解散します。これまで最も多いときには350の特別委員会が同時に存在したことがあります。
このような議会のあり方が可能なのは議員に充分なスタッフと調査研究費が支給されているからこそです。
また、コネチカット州の高校教師であった、GHQのチュートン大佐は地方議会を毎月開かせようとしました。しかし、当時の我が国の官僚が示した「議案がない」という理由が説得力を持ち、毎月開くはずの議会が年6回からさらに年4回に減らされました。このことはとりもなおさず、官僚たちによって議会の力がそがれたことに加えて、我が国の地方議会に力がなかったことを物語っています。さらに、昭和30年には当時の自治庁の行政課長であり、後の岡山県知事、長野士郎が戦前のように地方議会を年1回の通常会だけにしようと地方自治法の改正を試みたことがあります。このときは、危機感を抱いた全国都道府県議会議長会が時の自治庁長官の川島正次郎に働きかけてこれを阻止しました。当時の地方議員の先達たちの慧眼には驚きます。
 我が国では政治に金を費やすことに国民の抵抗があります。とかく、政治と金の結びつきを罪悪視する傾向があります。しかし、政治を金持ちの道楽にしてはなりません。活動に見合うだけのものは必要です。現在、広島市議会は法定定数64を55に削減している行革の優等生です。それだけに議員一人一人の守備範囲は当然広がっています。さきほど述べたように、立法府議席を持つものは議員立法を目指さなくてはなりません。行政が提出した議案だけを審議するのは議会本来の姿ではありません。政務調査費を減額することは自らの活動に制限を加えるとともに、自らの地位を貶めることにほかなりません。
 本議場の議員諸兄はそれでもよろしいのでしょうか?
 また、噂されているように、この問題が他の議案とのバーター取引の材料にされているのなら、ますます賛同することはできません。過去の歴史を踏まえ、先人たちが残してくれた功績の報いるためにも、今回の政務調査費の減額には断固として反対いたします。