広島市議会議員(安芸区)

盗まれる遺体

 いい顔、ふやそう。沖宗 正明です。


 今日は骨格標本作成のために遺体が盗まれる実態について書きます。
 インドでは1世紀以上も前から墓が掘り返されることが頻発しています。骨格標本を海外に売るためです。アメリカの骨格標本のほとんどはインド由来と言われています。しかし、1985年、インド政府が人体組織の輸出を禁じたため、骨を売買する業者の多くは廃業しました。それでもまだ法の網をかいくぐって活動を続ける業者がいます。インドでは墓の盗掘を禁じる法律がないのです。専門業者は、墓から盗まれた遺体や川に捨てられた遺体から肉をはがし、残った骨を磨き上げて標本を作ります。
 現実問題として、火葬や土葬が行われる日本やアメリカでは骨格標本を入手する手立てがありません。したがって、医学用の骨格標本は海外からの輸入に頼らざるをえません。その役割をインドが担ってきました。1985年に禁止されても地下では密貿易が行われているのです。品薄になったため、標本は高騰し、頭蓋骨標本は7万ドルと言われています。


 現存する最古の骨格標本は1543年のものです。余談ですが、1543年は種子島に鉄砲が伝来した年です。
 19世紀まで、医学生たちは自分で盗んだ死体を解剖して学習していました。死体を盗むことは一種の通過儀礼であったと言われています。1851年のイギリスのある医学雑誌の特集には「彼ら(医学生)にとって、人体を解剖用メスで切り開いて入念に調べることの利点に比べたら、墓を暴くことのリスクは取るに足らない。知識を渇望する彼らの想いは、大酒飲みが酒を求めるのと等しく、真摯で熱いものだったのだ。われわれ医術を実践する者が人々の尊敬を集めるのはそのような高い志ゆえなのである」と書かれています。警察当局も、金銭目当てで盗掘する者に対しては厳しく対処しましたが、医学関係者の盗掘には目をつむっていました。生きている人間の健康を保つための必要悪と考えていたようです。


 最近まで、日本でも医学生の人体解剖には引き取り手のいない死刑囚や身元不明の遺体を使っていたこともあったようです。わたくしの頃にはそんな例はなく、すべて献体されたものでした。岡山大学では、わたくしの1学年上までは医学生2人で1体の遺体を解剖していましたが、わたくしの学年からは遺体が不足したため、3人で1体となりました。現在は献体希望が増えてむしろ余り気味だと聞きました。わたくしの両親も、わたくしが医師となったことに感謝し、恩返しする意味で献体登録しています。
 次回は臓器売買のブラックマーケットについて書きます。